越中国射水郡(現在の富山県北西部)にあった東大寺領鳴戸村の田地の様子を描く図。条里(じょうり)とよばれる土地区割を碁盤目(ごばんめ)状に描き、寺領の範囲を朱線で囲んだうえ、朱線内の区画には地名、面積などを書き込む。図の上下端を欠失するのが惜しまれるものの、水路を示す赤茶色の線が明瞭に残るなど、残存部分の保存状態は良好である。また、年紀を欠くが、神護景雲元年(七六七)の作成と推定されている。同じ鳴戸村を八年前の天平宝字三年(七五九)に描いた図が現存しており(当館蔵・越中国射水郡鳴戸村墾田図)、その間に進んだ田地の開墾状況を知ることもできる。
(野尻忠)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.248, no.35.
越中国射水郡(現在の富山県北西部)にあった東大寺の田地の様子を描く図。画面は南を上とし、上下端は失われている。条里とよばれる土地区画を碁盤目状に描き、荘園の範囲を朱線で囲んだうえ、朱線内の枡目には地名、面積などを書き込む。年紀を欠くが、神護景雲元年(767)の図と推定されている。
(野尻忠)
料紙は麻紙風楮紙で、図の上下を欠失し、田図名の記載がないが、正倉院に残る神護景雲元年(七六七)十一月十六日の同地の墾田図(麻布)と大略同じで、恐らくこの時期に作成された写しと思われる。南を上として条里を示し、条里面に朱線で寺領の境界を示し、東大寺田、百姓口分田、治田(開墾地)などの注記を墨で詳細に書き、茶褐色の太線で溝・沼を描いている。図中央に澤谷里、左端に大塩中里、大塩下里の里名を表記している。外に現在にはない、水利関係と思われる、解釈されていない不明の文字も見られる。この鳴戸庄は正倉院に伝わる東南院文書、天平宝字三年(七五九)十一月十四日の東大寺越中国諸郡庄園惣券という文書によれば、天平勝宝元年(七四九)に東大寺田として野原だった所を占定して(囲い込んで)開発したもので、同文書によって当寺の開墾状態が分る。本図の裏にも墨書が見られる。
古地図, 1979, p.7

