越中国射水郡(現在の富山県北西部)にあった東大寺領荘園の様子を描く図。荘園の範囲を朱線で囲み、朱線内の各区画にはそれぞれ地番、地名、土地の種類・面積などを記す。画面中央を東西に横切る「法華寺溝」などの水路は赤褐色に塗られる。年紀を欠くが、神護景雲元年(767)の図と推定されている。
(野尻忠)
料紙は麻紙風楮紙で、図の上部を欠失しているが、正倉院にある同地の墾田図(麻布)の北半分と同じ内容で、奈良時代の写しと思われる。南を上として条里を墨書し、寺領の境界を朱線で示し、寺田、百姓口分田、周辺の人家などの注記をして、水路を茶褐色の線で描いている。「社神」の注記は神社のことで、荘園内に神社や社所といわれる祭祀関係地があったことが知られ興味深い。この鹿田庄も鳴戸庄と同じく天平勝宝元年の占定(囲い込み)で成立し、その面積は同文書にみえている。
古地図, 1979, p.9