奈良時代に、越前国と越中国にあった東大寺領荘園の開発状況を描いた図4面である。現在、正倉院宝庫に収められている越中国・越前国・近江国などの荘園図17面とともに、もとは東大寺に伝来した。
東大寺開田図は、いずれも画面中央に条里と呼ばれる土地区画を示す方格線を引き、それぞれの枡目に地番、土地の種目、耕作面積などを墨書する。一部に山稜や湖沼を線描し著色する図もあるが、全般に絵画的な表現は少ない。また、東大寺領荘園とそれ以外の土地の境界には朱線を引き、朱線上の要所に「堺」と墨書する。条里図の右側には荘園図名や土地面積の総計を記し、左側には作成年月日と作図に立ち会った東大寺僧や越中・越前国司の署名を置くのが通例である。
奈良時代における地方諸国の現地の状況を知ることのできる貴重な史料である。
(野尻忠)
奈良時代に、越前・越中両国の東大寺領庄園の開発状況を描いた絵図。寺領検田の際に作成されたもので、もとは正倉院に伝来した。
「越前国坂井郡高串村東大寺大修多羅供分田図」は制作当時の案。北を上にして条里を墨書で図示し、具墨に丹紫を交えて江・山・樹木を描き、水中には象徴的に魚を大きく描き加えている。奈良時代の山水図としても注目される。水路は丹紫で示されている。図の左には、越前国司と東大寺検田使の位署案がある。この庄園からの収入は、東大寺の大修多羅衆の経費に宛てられた。
「越中国礪波郡石粟村官施入田図」は原本。この庄園は、もとは天平宝字元年(757)7月に所罪された橘奈良麻呂の所領で、同年12月に東大寺へ下賜された。図は東を上にして、字面の要所に「越中国印」19顆を捺している。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.306, no.128.