銀泥(ぎんでい)で界線を引き、一行十五基の宝塔(ほうとう)を描き、丸い部分(水輪(すいりん)部)に金泥(きんでい)で経文を一字ずつ書き入れている 。第一紙紙背(しはい)に願文があり、長寛元年(一一六三)六月、心西入道(しんぜいにゅうどう)が自身の極楽往生(ごくらくおうじょう)を願い作成したことがわかる。『法華経』八巻に『無量義経(むりょうぎきょう)』・『観普賢経(かんふげんきょう)』を合わせた十巻として作成されたようで、僚巻が存在する。
見返絵は経典の内容を表しており、巻三は王の饗膳(きょうぜん)を食べる人々(授記品(じゅきほん))・幻の城(化城喩品(けじょうゆほん))、巻第五は読誦する僧(法師品(ほうしほん))・海中から現れる文殊菩薩(もんじゅぼさつ)(提婆品(だいばほん))等が描かれる。この絵は十二世紀に中国・宋(そう)で印刷された法華経(京都・栗棘庵蔵)の見返絵左半分と共通しており、同版を手本にしたと見られる。
(斎木涼子)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.251, no.56.
各巻ともに、第一紙の紙背に願文が記されており、長寛元年(1163)6月に心西入道が願主となり、自身の往生極楽を願って制作したことがわかる。僚巻としては巻第四(個人蔵)と『観普賢経』(個人蔵)が知られ、もとは開結の2巻を合せた10巻本であった。
見返絵の図様は、京都・栗棘庵に伝わる南宋(12世紀)の版本法華経(7巻本)の横長の扉絵の左半分に共通しており、新たに請来された南宋の版本の扉絵を転写した珍しい遺品である。
巻第三の見返絵には三草二木喩(薬草喩品)・大王饗膳(授記品)・宝所化城喩(化城喩品)など、巻第五には衣裏宝珠喩(五百弟子品)・読誦の僧(法師品)・海中から涌出した文殊菩薩(提婆品)・飛雲に乗る龍女(提婆品)などが表わされており、その筆致は柔軟性に富んでいる。なお巻第五の図様は、七巻本の南宋版本では巻第四に付く図様である。
本紙には銀泥で界線を施し、各行に15基の五輪塔形の宝塔を銀泥で描き、経文はその水輪部に一字ずつ金泥で書写されている。
なお、この見返しの修理銘から、本経は正保3年(1646)当時は、鳥羽天皇ゆかりの安楽寿院に伝来していたことがわかる。その後、播州法華寺地蔵院を経て散逸した。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.304, no.119.