宝塔形の金銅製経筒であるが、鍍金(ときん)は失われている。屋根の部分が蓋となり、塔本体部分が経典を納める筒部となっている。本体部の正面には線刻で扉が、底部には二段の段差で基壇が表現されている。宝形造(ほうぎょうづくり)の屋根は鍛造(たんぞう)の銅板で形作る。隅棟部分では瓦を線刻で表わし、棟端には宝珠形を飾る。軒裏の四隅には銅板を貼り付けて隅木を表現し、隅木の端部には風鐸を下げる。経筒とは経典を納めて経塚に埋納するための容器であるが、本例は経典とともに仏像二軀や鈴も共に納められた珍しいものである。二軀の仏像を多宝如来と釈迦如来にあて、法華説相図に登場した宝塔と同様、多宝塔湧出場面を表わした経筒であるとする説もある。いずれにしても、書写した法華経を宝塔のミニチュアにおさめることは、写経と造塔の供養を兼ねたものであったといえよう。
(岩戸晶子)
建築を表現する―弥生時代から平安時代まで―, 2008, p.40
福岡県太宰府市付近から出土したと伝えるほかは、詳細不明である。塔身、屋蓋、相輪の3部からなる銅鋳製の宝塔形経筒で、重厚な作りを示す。塔身は肩部で印籠蓋(いんろうぶた)と身に分かれ、側面に線彫りの扉を表わす。基部に1段の高台を設け、そこは円形銅板の嵌め底とし、内面に永久4年(1116)の針書銘とともに2躯の仏像と経巻を納めた痕跡をとどめる。屋蓋部の屋根は宝形造(ほうぎょうづくり)で、降棟(くだりむね)に銅板の線刻で堤瓦(つつみがわら)を表わす。末端近くに雲珠(うず)を立て隅木(すみき)先には風鐸(ふうたく)を吊す。仏像は2躯とも小さな銅製如来立像で、両肩から衲衣をおおうのみの簡略な表現である。これらは法華経見宝塔品に説く、釈迦・多宝の2仏と推定される。なお、ほかに銅鈴1個を伴う。
出土状況などの不明なのが惜しまれるが、紀年銘を有する数少ない宝塔形経筒の優品であり、数少ない仏像を納めた事例である。また仏像も年代を付与できる平安時代の金銅仏として貴重である。
(井口喜晴)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.282, no.21.