釈迦は出家後、山に入り六年間苦行(くぎょう)を試みたが、苦行では悟りを開けないことに気づき、山を降りたという。この説話にもとづく出山釈迦像は中国や日本の禅宗で重要視され、水墨画などに多く描かれる。近年、出山釈迦像は絵画、彫刻の別なく、成道会(じょうどうえ)の本尊であったという指摘がある。彫刻の場合は、置物や根付(ねつけ)などの近世の作例は比較的多いが、中世にさかのぼるものはまれである。剃髪(ていはつ)した低い肉髻(にっけい)に痩(こ)けた頰、肋骨(ろっこつ)の浮き出た胸や丸まった背中の釈迦の姿は、悟りに至る道へと歩み始める様子が迫真的に表現されている。三重県津市の福蔵寺(ふくぞうじ)伝来。
(岩井共二)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2022, p.118, no.152.
釈迦は六年にわたる苦行(くぎょう)の末、山を降りた。その時の痩(や)せこけた姿を表すのが出山釈迦像である。出山釈迦像は、禅宗で重要視され、苦行の放棄という主題から転じて、成道(じょうどう)(さとりを開くこと)と関連付けられ、釈迦の成道を記念する成道会(じょうどうえ)の本尊とされた。法会の本尊という性格からか、絵画の作例は多いが彫像は珍しく、近世の置物や根付に見られるものの、中世にさかのぼる作例はまれである。剃髪(ていはつ)した低い肉髻(にっけい)にこけた頰、肋骨(ろっこつ)の浮き出た胸や丸まった背中の表現に、さとりへの道を歩む釈迦の姿が迫真的に表現されている。
(岩井共二)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.243, no.5.
インドの小国の王子であった釈迦は、二十九歳で出家した後、山中で六年間の苦行を経て骨と皮ばかりになるが、やがて苦行は無意味であるとさとり、山を出た。その説話に基づく釈迦のすがたである。禿(は)げたかのような肉髻(にっけい)と、痩せて浮き出たあばら骨が特徴的。
(岩井共二)
みほとけのかたち 仏像に会う. 奈良国立博物館, 2013.7, p.46, no.22.
苦行の無益さをさとって山を出る釈迦の姿を表す。頬のこけた頭部、肋骨の浮き出す体などの描写は迫真的。頭頂部を無毛とする形式など、禅宗絵画と共通する要素がみられる。もと津市の福蔵寺(ふくぞうじ)に伝来。
題箋
仏教の開祖・釈迦は6年間の苦行を試みたが、肉体を苛(さいな)むことの無益さをさとって山を出たという。その様子を表現した本像は背を丸め、木の枝を杖として歩む姿をとる。頰のこけた頭部、肋骨が浮き出した体などの描写は迫真的である。ガンダーラ彫刻には苦行釈迦像がある一方で出山場面を造形化した例がないが、中国・日本の禅宗美術では出山は重要な主題の一つだった。本像もその影響下での作とみられ、螺髪(らほつ)を表して頭頂の肉髻(にっけい)部分を無毛とする形式など、禅宗絵画と共通する要素がみられる。三重県津市の福蔵寺伝来。
(稲本泰生)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.98, no.124.
釈尊は悟りを開く前に、六年の間断食をはじめとする諸種の苦行により、自らの肉体を嘖み、諸欲を制御して精神の浄化に至ろうとした。しかし、これらの行では、悟りの境地を得られないと知った釈尊はこれを離れる。本像は、苦行の場所である山を出て、最後の瞑想に向かおうとする姿を表すものなのである。ただこの場面は、ガンダーラの仏伝中には見あたらず、中国での禅宗の展開と共に生み出されたと考えられている。
背を丸めて腰をかがめ、杖を突き、右足を出して歩み始める。顔には頬骨が、体では肋骨が浮き出、手の指も骨張って表現される。興味深いのは、螺髪(らほつ)は頭部の周辺に現れ始めるが、頭頂部には未だ肉髻(にっけい)が現れず、成道前であることを示す点である。かなり手慣れた彫技を示すが、面相などに現実的な世俗性が認められることより、室町時代の作とするのが穏当であろう。三重・福蔵寺より伝来した。ヒノキの寄木造、玉眼。
(井上一稔)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, pp.298-299, no.96.


