五條猫塚古墳は金剛山の東南麓(奈良県五條市)に築かれた、一辺約三〇メートルの方墳である。昭和三十三年(一九五八)の調査によって豊富な鉄製武器・武具、工具、金銅製帯金具、埴製枕などが出土した。本品は、野球帽のように大きな庇(ひさし)を付けた「眉庇付冑(まびさしつきかぶと)」の一種であるが、頭頂部を高く盛り上げる様は、北方騎馬民族の冑、ことに鎌倉時代に来襲した蒙古(もうこ)軍の冑を連想させることから「蒙古鉢形冑(もうこばちがたかぶと)」とも呼ばれる。同形の冑は高句麗(こうくり)や伽耶(かや)にも例があり、本品はそれらの影響を受けつつ、在来の技術や形式(眉庇)に則って作られた珍しい折衷作品である。装飾性も豊かで、金銅板を多用したきらびやかな姿は、王者の権威や財力を印象付けるのに効果的であったと想像される。
(吉澤悟)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.280, no.241.
五條猫塚古墳は金剛山の東南麓、一辺約30mの方墳である。昭和33年の調査によって豊富な鉄製武器・武具、工具、金銅製帯金具、陶製枕などが発見された。本品は、正面に野球帽のように大きな庇を着けた「眉庇付冑(まゆひさしつきかぶと)」の一種である。頭頂部が高く盛り上がる独特な形状を呈し、鎌倉時代に来襲した蒙古軍の冑を連想させることから「蒙古鉢形冑(もうこばちがたかぶと)」とも呼ばれる。本来の蒙古鉢形冑は北方騎馬民族の間で多くみられる形式で、高句麗や伽耶に好例をみる。しかし、本品は系統の異なる眉庇付冑と蒙古鉢形冑の折衷品であり、形状だけを蒙古鉢形冑にならった類のない冑である。装飾製にも富んでおり、頂部の伏鉢や横に巡らせた胴・腰巻板などには金銅板をかぶせており、さらに庇は絡龍門(らくりゅうもん)を金銅版に透彫りしている。また頭鉢部の前後左右の四方向には金銅張りの小札(こざね)を数枚ずつ配して「四方白(しほうじろ)」という形式をとっている。黒漆塗りの板地の間に金色のストライプが鮮やかに浮き出る様子は、全面金色よりも一層まばゆく目に映ったことと想像される。同古墳からは、同じく四方白形式をとる典型的な眉庇付冑2点、金銅張の頸甲(あかべよろい)なども出土しており、武具生産に関わる工人を統率した被葬者像が想定される。なお、蒙古鉢形冑は本品のような特殊例を含めても日本にはごく僅かしか出土例がなく、日韓古代文化交流を知る上で貴重な資料である。
(吉澤悟)
金飾の古墳時代―副葬品にみる日韓交流の足跡―, 2004, p.11
猫塚古墳は、金剛山の東南麓に位置する向山丘陵とその南の西河内の低い丘陵に挟まれた谷間に立地する。一辺約30メートル、高さ約5メートルの方墳で、竪穴式石室の中から武器武具、鉄製工具、鏡、土製枕、埴輪などが出土している。この冑は3個の金銅装眉庇付冑の中の1個で、上部が細く、中央から下部にかけて広がるのが特徴で、蒙古鉢形冑とよばれる。その構造は頂部には金銅の受鉢があり、管を欠失するが、半球状の金銅製伏鉢に続き、さらに地板第一、金銅製胴巻、地板第二を経て、金銅製腰巻に至る。地板第一と第二は、一般に四方白(しほうじろ)とよばれる形式で、前後面と左右面に各3~4枚の金銅小札を置き、その間に鉄製の小札を各々3枚配し、鋲留する。庇部も金銅製で、外縁は11個の弧形を連ね、内側に絡龍文をM字形に透彫し、点刻で表した細線文や波状文で飾る。
いわゆる蒙古鉢形冑は、古墳時代の日本では類例が非常に少なく、その形式は中国大陸や韓半島の遺物に共通し、当時の文化的交流を知る上に貴重な資料である。
(井口喜晴)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.279, no.8.










































