胎蔵曼荼羅の諸尊を上下二巻に描く白描図像。上巻冒頭に記される「大毘盧遮那成仏神変加持経中(だいびるしゃなじょうぶつじんべんかじきょうちゅう)訳出(やくしゅつ)大悲胎蔵生秘密曼荼羅(だいひたいぞうしょうひみつまんだら)主画像図(しゅがぞうず)巻一」の原題と、下巻巻末の「中天竺国(ちゅうてんじくこく)那蘭陀寺(ならんだじ)三蔵法師(さんぞうほうし)善無畏(ぜんむい)、大唐の東都河南府大聖善寺に於て訳出す」という墨書から、インド出身の密教僧・善無畏(ぜんむい)(六三七~七三五)が洛陽大聖善寺において『大日経(だいにちきょう)(大毘盧遮那成仏神変加持経)』を漢訳する際に、同経中に訳出される胎蔵曼荼羅(大悲胎蔵生秘密曼荼羅)の主要な諸尊を抽出して描いたものと知られる。
上巻は中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)、持明院(じみょういん)、蓮華部院(れんげぶいん)、金剛手院(こんごうしゅいん)、文殊院(もんじゅいん)、除蓋障院(じょがいしょういん)、地蔵院(じぞういん)、虚空蔵院(こくうぞういん)の諸尊、下巻には釈迦院(しゃかいん)の諸尊と外金剛部院(げこんごうぶいん)の諸天を描写し、各尊の右傍らに尊名・印相・注を墨書する。下巻巻末の柄香炉(えごうろ)をもつ僧形は『大日経』を漢訳した善無畏の姿である。
毘盧遮那(大日)如来が菩薩形ではなく如来形で、明王や天部を中心に諸尊をインド風の姿に表すなど、総じて善無畏がインドから伝えた図像の様相をとどめており、空海が日本にもたらした両界曼荼羅(現図(げんず)曼荼羅)より古い胎蔵曼荼羅の形式を伝えると考えられる。
奥書によれば、円珍が入唐中に書写し日本に持ち帰った原本が園城寺(おんじょうじ)の唐院に伝存しており、これを鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)が絵仏師応源(おうげん)に写させ、この第一転写本を治承五年(一一八一)に園城寺別当真円(しんえん)が書写させた第二転写本を、さらに建久五年(一一九四)に園城寺の禅覚(ぜんかく)が書写させたのが本品であるという。円珍請来図像の第三転写本である本品は、同じく禅覚による円珍請来図像の転写本である西南院蔵・五部心観(ごぶしんかん)、文化庁蔵・胎蔵旧図様(たいぞうきゅうずよう)とともに、近年まで滋賀・曼荼羅堂に伝来した。
(谷口耕生)
空海 密教のルーツとマンダラ世界. 奈良国立博物館, 2024.4, pp.252-253, no.18.
密教の世界を一対で表現する両界曼荼羅(りょうがいまんだら)のうち、胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)に表される諸尊を描き並べた図像集。上巻冒頭に記すところによれば、中国密教の基礎を築いたインド出身の僧・善無畏(ぜんむい)(六三七〜七三五)が『大日経(だいにちきょう)』を漢訳する際に、胎蔵界関係の主要な尊像を抽出したものという。奥書からは、本品が天台宗(てんだいしゅう)の密教化を進めた円珍(えんちん)(八一四〜八九一)が唐より持ち帰った原本の第三転写本であることが知られる。近年まで、滋賀・曼荼羅堂(まんだらどう)に伝来した。
尊像の姿はインド風をとどめ、空海(くうかい)(七七四〜八三五)がもたらした曼荼羅より古い図像を収めている点にも特色がある。
(萩谷みどり)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.256, no.86.
智証大師円珍(えんちん)(八一四~八九一)の請求目録に「胎蔵諸尊様一巻」とあるのがこの胎蔵図像を指すものとみられる。円珍は大中九年(八五五)に長安青龍寺において胎蔵潅頂を受けており、その後自ら胎蔵界の図を描いたと記録にある。内容は、善無畏(ぜんむい)が『大日経』を漢訳する際に、胎蔵界関係の主要な諸像を取り出したもので、不空(ふくう)・恵果(けいか)系の現図曼荼羅(げんずまんだら)に対して、善無畏系のインド的要素を多くとどめた両界曼荼羅とされる。上巻には中台八葉院、持明院、蓮華部院、金剛手院、文殊院、除蓋障院、地蔵院、虚空蔵院の諸尊を、下巻には釈迦院諸尊と外金剛部院の諸天を描き、巻末には拈華持香炉の善無畏の姿を表している。巻頭部の毗盧遮那如来(びるしゃなにょらい)が菩薩形ではなく、如来形に表されるなど、現図曼荼羅とは各所で異なる図像的特色があり重要である。上巻の半ばに不動明王が描かれ、剣と索をとる姿は現図に等しいがその面相には未だ忿怒の相はなく穏やかな童子形である。奥書によれば、三井寺唐院経蔵の円珍請求本を鳥羽僧正覚猷が絵師応源(おうげん)に命じて写させ、ついで治承五年(一一八一)に真円(しんえん)が書写し、建久五年(一一九四)に禅覚(ぜんかく)、禅実(ぜんじつ)および内府阿闍利が書写している。すなわち本書は、円珍請求本の第三転写本である。
(梶谷亮治)
明王展―怒りと慈しみの仏―, 2000, p.185
智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)(814~891)は、唐から一千余巻に上る多数の聖教類を請来した。請来目録に「胎藏諸尊樣一巻」とあるのがこの胎蔵図像を指すものと見られる。円珍は大中9年(855)に長安青龍寺において胎蔵灌頂を受けており、その後自ら胎蔵界の図を描いたと記録にあるのが注意される。上巻巻頭には「大毘盧遮那成佛神變加持經中譯出大悲胎藏生秘密曼荼羅主畫像圖巻一[分爲上下/今此上巻]」、巻尾には「珍自分之 爲上下巻」とあり、当本の具名と請来の後円珍自身により二巻に分巻されたことがわかる。
具名によると、善無畏(ぜんむい)が『大日経』を漢訳する際に、胎蔵界関係の主要な尊像を取り出して描いたことが知られる。上巻には中台八葉院、持明院、蓮華部院、金剛手院、文殊院、除蓋障院、地蔵院、虚空蔵院の諸尊を、下巻には釈迦院諸尊と外金剛部院の諸天を描き、巻末には拈華持香炉の善無畏の姿を表している。各尊にはいまだインドや西域風の影響をとどめるおもむきがある。巻頭部の毘盧遮那如来が菩薩形ではなく如来形に表されるなど、現行の胎蔵界曼荼羅とは各所で異なる図像的特色があり、図像研究の上ではきわめて重要な存在である。
奥書によって当本の書写の事情を見ると、まず三井寺唐院経蔵の円珍請来本を鳥羽僧正覚猷(かくゆう)が絵師応源(おうげん)に命じて写させ(第一転写本)、ついで治承5年(1181)に第一転写本(法輪院本)を真円が自ら書写し(第二転写本)、建久5年(1194)には第二転写本(大宝院本)を禅覚、禅実および内府阿闍梨が書写している。すわわち本書は、円珍請来本の第三転写本である。
(梶谷亮治)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.313, no.158.

