官営の写経所(しゃきょうしょ)で働いていた経師(きょうし)(経文(きょうもん)の筆写を担当する職)の万昆嶋主が、天平宝字二年七月二十八日に写経所へ提出した休暇届である。嶋主は、親戚(父親の姉妹か)が今月二十六日から重病に陥り、起居することができない状態となったため、看病をしていたが、二十八日になっても病状が回復しなかったので、さらに四日間の休暇を願い出たという。こうした奈良時代の休暇届は他にも数多く現存し、下級役人の生の声を伝える好史料となっている。なお本文書は、その後、紙背(しはい)が写経所の食料管理帳簿の一部に使用された。もと正倉院に伝来。
(野尻忠)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.278, no.227.
これは、万昆嶋主(まこんのしまぬし)という、一風変わった姓を持つ下級役人が書いた休暇届である(「解(げ)」は上申文書の書式)。万昆嶋主は、官営の写経所(しゃきょうしょ)に勤務する経師(きょうし)(経文の筆写を担当する職)の一人。生没年は不詳だが、天平6年(734)頃にはすでに写経所で働いていたことがわかっており、これを書いた天平宝字2年には、ベテランの域に達していたであろう。
この休暇届によると、万昆嶋主は、親戚(父親の姉妹)が今月26日から重病に陥り、起居することができない状態となったため、看病をしていた。しかし28日になっても病状が回復しなかったので、嶋主はさらに4箇日の休暇を願い出たのである。
奈良時代の写経所職員が書いた休暇届は、これ以外にも数多く現存している。休暇取得の理由としては、担当分の写経が終わったからとか、自分の体調不良とか、家族の不幸などがあるが、親戚の看病というのは珍しい。本文書は、下級役人の生の声を伝える史料として、第一級の価値を持つと言えよう。
さらに付け加えれば、この文書は最近「再発見」された、貴重な奈良時代文書である。戦前は名古屋の個人が所蔵していたが、戦後は行方がよく分からず、研究者の間では戦火で失われたかとも言われていた。が、奇跡的に生き残っていたのである。
(野尻忠)
奈良国立博物館だより第82号. 奈良国立博物館, 2012.7, p.8.

