上部に春日大社(かすがたいしゃ)の神山・御蓋山(みかさやま)、下部に同社の参道にかかる橋、中央部分に阿弥陀三尊(あみださんぞん)と手前に維摩居士(ゆいまこじ)・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、四隅に四天王(してんのう)を描く。九尊は、配置や印相(いんそう)・持物・姿形・身色などの特色から、興福寺講堂にかつて安置されていた諸像と見なされる。興福寺の中でも講堂は南都三会(なんとさんえ)筆頭の維摩会(ゆいまえ)がとり行われるなど特に重視された堂宇であり、そこに安置された諸像も霊像として信仰を集めた。本図はこれら興福寺講堂諸像と春日大社神域のモチーフを組み合わせることで、神仏習合(しんぶつしゅうごう)が進んだ中世に両寺社が一体で崇拝された姿を象徴的に表している。
(谷口耕生)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.276, no.212.
縦長の上部と下部に春日大社境内の景観、中央部分に阿弥陀如来(あみだにょらい)・観音菩薩(かんのんぼさつ)・勢至菩薩(せいしぼさつ)の三尊とその手前に維摩居士(ゆいまこじ)・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、四隅に四天王(してんのう)を描く。これら九尊については、印相(いんそう)や持物(じもつ)・姿形・身色などの特徴から、興福寺講堂にかつて安置されていた諸像を描いたものと見なされる。興福寺講堂は南都三会(なんとさんえ)筆頭の維摩会(ゆいまえ)が執り行われるなど同寺の中でも特に重視された堂宇(どうう)であり、そこに安置された諸像も霊像として盛んに模刻や模写が行われた。本品はこれら諸像の上部に春日大社の神体山である御蓋山(みかさやま)、下部に春日大社の参道にかかる橋(五位橋(ごいはし)か)を描き、神域に相当する位置に興福寺で最も重要な堂宇の諸像を配することで、興福寺と春日社の一体性を象徴的に表したと考えられる。諸尊の尊容は細く丁寧な線描で正確に写され、裏箔(うらはく)と金泥(きんでい)の暈(ぼ)かしを効果的に用いて皆金色身(かいこんじきしん)を表すなど古様な表現技法を示す。上下の春日大社の景観についても鎌倉時代に描かれた春日宮曼荼羅と樹木の表現などが近似しており、本品もこれに近い時期の成立と見なすことができる。
興福寺講堂安置の諸尊を描く講堂曼荼羅は、おもに興福寺僧が礼拝したものとみられ、興福寺大乗院門主尋尊(じんそん)は文名七年(一四七五)の維摩会に講師として臨むに際し、南都絵所吐田座(はんだざ)の絵仏師に「講堂万陀ラ」一幅を描かせている(『大乗院寺社雑事記』「文名七年維摩講師方條々」)。その現存作例は極めて珍しく、本品以外には室町時代成立といわれる東大寺戒壇院本が知られるに過ぎない。
(谷口耕生)
創建一二五〇年記念特別展 国宝 春日大社のすべて. 奈良国立博物館, 2018, p.320-321, no.131.
縦長の上部と下部に春日大社境内の景観、中央部分に阿弥陀如来(あみだにょらい)・観音菩薩(かんのんぼさつ)・勢至菩薩(せいしぼさつ)の三尊とその手前に維摩居士(ゆいまこじ)・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、四隅に四天王(してんのう)を描く。これら九尊については、印相(いんそう)や持物(じもつ)・姿形・身色などの特徴から、興福寺講堂にかつて安置されていた諸像を描いたものと見なされる。興福寺講堂は南都三会(なんとさんえ)筆頭の維摩会(ゆいまえ)が執り行われるなど同寺の中でも特に重視された堂宇(どうう)であり、そこに安置された諸像も霊像として盛んに模刻や模写が行われた。本品はこれら諸像の上部に春日大社の神体山である御蓋山(みかさやま)、下部に春日大社の参道にかかる馬止橋(まどめのはし)とみられる橋を描くことで、興福寺と春日社の一体性を象徴的に表したと考えられる。また、中世において興福寺僧が維摩会に出仕する際に講堂曼荼羅を描かせた事例が知られており、本品も同様の目的で制作された可能性があるだろう。
諸尊の尊容は細く丁寧な線描で正確に写され、裏箔(うらはく)と金泥(きんでい)の暈(ぼ)かしを効果的に用いて皆金色身(かいこんじきしん)を表すなど古様な表現技法を示す。上下の春日大社の景観についても鎌倉時代に描かれた春日宮曼荼羅と樹木の表現などが近似しており、本品もこれに近い時期の成立と見なすことができよう。なお興福寺講堂諸尊のみを描く画像の現存作例は極めて珍しく、他に室町時代成立といわれる東大寺戒壇院本が知られるに過ぎない。
(谷口耕生)
おん祭と春日信仰の美術-特集 奈良奉行所のかかわり-. 奈良国立博物館, 2016.12, p.57, no.28.

