画面を埋め尽くすのは千体近くの小さな地蔵像。よく見ると画面の中ほどには、横方向に山並みが描かれ、その向かって左下に社殿が認められる。そして、山の上側には、人間が死後転生し得る人道(人間界)を含む六道のうち、天道(向かって左)と阿修羅(あしゅら)道(同右)に地蔵が集まるさまを描く。そして画面中ほど、社殿のすぐ下には人道、画面下方には阿修羅道(向かって左)と地獄道(同右)が象徴的に表され、そこに地蔵の群集が訪れている。こうした構成から本図は、春日社本殿第三殿(三宮)の本地仏(ほんじぶつ)は六道の衆生を救う地蔵菩薩であり、春日野の地下には地獄があるという中世に広まった考えを背景に、春日を舞台とし、地蔵の救済力を示す珍しい作例と考えられる。
(北澤菜月)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.271, no.180.
山水風景中に、宝珠(ほうじゅ)と錫杖(しゃくじょう)を持ち、蓮華座(れんげざ)上に立つ通形の地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が多数表される。九百九十七体数えられるところから、千という数を意識して描かれたことと、画面が当初の全形を保っていることが認められよう。左辺の上寄りに、御蓋山(みかさやま)と春日山および山下の春日本社・若宮社・三十八所社の社殿を春日宮曼荼羅(かすがみやまんだら)の定形を踏まえて描いていることから、地蔵は本社第三殿の本地仏を示すとみなされる。御蓋山部分に六体配するのは、六地蔵の意と解され、それに呼応して図中に六道の描写も見られる。下端中央に熱湯の釜から救われた童子形の亡者(もうじゃ)たちを鬼たちが見る地獄(じごく)道、右端に大きい腹の餓鬼(がき)が飯を傍らに坐(すわ)る餓鬼道、左端の少し上に牛が伏す畜生(ちくしょう)道、上部右端に阿修羅(あしゅら)が坐る阿修羅道、上端に天人が倒れ伏す天道を配する。人道は確認しがたいが、春日社の下辺の殿邸がそれにあたるかと思われる。六道の各々に地蔵を雲集させ、救済の強力さを表している。類例のない作品であるが、信仰の実態が文明でない春日の千体地蔵について、優れた表現で鮮明な表象を形作る。
(中島博)
おん祭と春日信仰の美術ー特集 春日大社にまつわる絵師たちー. 奈良国立博物館, 2019, p.70, no.50.
画面左のやや上方に春日山・御蓋山(みかさやま)が表されており、描かれている山水が春日の地であることがわかる。ここに群集する僧形は右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、蓮台に立つ地蔵菩薩で、およそ千体を数える。末法の世を迎えた平安時代後期から、地蔵は六道に輪廻する亡者を救済する役割が期待されるようになるが、南都において春日社を浄土とみなし、その地下に地獄があるとする思想が生まれると、春日三宮の本地仏(ほんじぶつ)である地蔵はとりわけその救済者とみなされた。本品はそのような信仰を背景とし、春日の地に広がる六道から地蔵が亡者を救うさまを表すものである。すなわち、画面上部中央付近には衰弱する夫人が臥せる天道、上部右方には阿修羅たちが坐す阿修羅道、中央左方には家屋のある人道、下部左方には牛がうずくまる畜生道、下部中央には火焔の上がる鉄釜から童子が化生し、それを獄卒の鬼たちが見守る地獄道、下部右方には腹ばかり膨れた餓鬼が越を降ろす餓鬼道が配され、それらを多数の地蔵が取り囲んでいる。また、御蓋山中腹に並ぶ六体の地蔵は、六地蔵を意識した表現であるとする説がある。
鎌倉時代前期には、小型で多数の地蔵の一群を造形化する試みが多くなされた。なかでも注目されるのは、その篤い春日信仰が知られる解脱房貞慶(げだつぼうじょうけい)が、建久九年(一一九八)に亡き母の追福のために図絵したという「一千体地蔵菩薩像一鋪」で(『鎌倉遺文』九七六)、本品はこのような先例に基づく可能性が指摘されている。また、春日宮曼荼羅や千体地蔵をセットで描く個人蔵の扉絵も知られ、本品との関連がうかがわれる。
??(ひょうはい)墨書によれば、元禄三年(一六九〇)に権大僧都栄春なる人物によって修理が行われている。また、「東大寺画師河内□(菅カ)道筆」などと記された紙片が付属する。
(伊藤久美)
創建一二五〇年記念特別展 国宝 春日大社のすべて. 奈良国立博物館, 2018, p.327, no.153.
奈良春日社周辺に約千体(九百九十七)の地蔵が姿を現す。地蔵は人が転生し得る六つの世界である六道(ろくどう)(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、天、人)のどこへも現れ、苦しむ者を救いあげる強力な救済者として信仰を集めた。本図では春日の景観中に六道が示され、地蔵が各所を訪れている。春日社は三宮(さんのみや)の本地仏(ほんじぶつ)(神の本来の姿)が地蔵とされるなど地蔵信仰との関わりが深い。
(北澤菜月)
みほとけのかたち 仏像に会う. 奈良国立博物館, 2013.7, p.131, no.86.
広々とした山水景観の中に、千体近くを数える地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が雲集する様子を描く。画面上方左寄りに御蓋山(みかさやま)と春日山および春日大社の朱塗り社殿が点在していることから、地下に地獄があると信じられた春日野を表していることがわかる。下辺中央には燃え盛る熱湯の釜から裸形(らぎょう)の亡者(もうじゃ)が救われる地獄道、右幅に大きく腹がふくらんだ餓鬼(がき)が坐(すわ)る餓鬼道、左端に黒牛が伏せる畜生道(ちくしょうどう)、上方右端に赤身四臂の阿修羅(あしゅら)が坐る阿修羅道、中央左端に土塀に囲まれた檜皮葺(ひわだぶき)の建物を描く人道、上辺左方に天女が横たわる天道を配しており、ここでは春日野の地が六道輪廻(りくどうりんね)の苦しみに満ちた穢土(えど)に見立てられている。六道の各々に一群をなして集まった地蔵たちが、今まさに衆生(しゅじょう)を救済するために影向(ようごう)した光景と考えられよう。地蔵はいずれも宝珠(ほうじゅ)と錫杖(しゃくじょう)を持って蓮華座(れんげざ)上に立つ通形に表され、肉身を丁寧に描き起こして一尊ずつ着衣の配色を変えるなど、非常に細やかな描写が見て取れる。起伏に富んだ春日山の形態は、鎌倉時代でも比較的早い時期の春日宮曼荼羅(かすがみやまんだら)に見られる特色であり、良質の画絹を用いることからも、本図の制作は十三世紀に遡(さかのぼ)ると考えられる。鎌倉時代後期成立の春日権現験記絵(かすがごんげんげんきえ)巻十六78第四段には、春日社三宮の本地仏(ほんじぶつ)である地蔵が春日地獄から罪人を救済するという信仰について、貞慶の高弟璋円(しょうえん)が語ったというエピソードをのせる。こうした春日三宮の地蔵信仰は、貞慶が鼓吹(こすい)したことによって鎌倉時代の南都を中心に広まったとされており、類例のない本図の特殊な図様もその影響のもとに成立したのだろう。
(谷口耕生)
解脱上人貞慶 鎌倉仏教の本流 御遠忌800年記念特別展, 2012, p.240
山水風景中に、宝珠(ほうじゅ)と錫杖(しゃくじょう)を持ち蓮華座(れんげざ)上に立つ通形の地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が多数表される。九百九十七体数えられるところから、千という数を意識して描かれたことと、画面が当初の全形を保っていることが認められよう。左辺の上寄りに、御蓋山(みかさやま)と春日山および山下の春日本社・若宮社・三十八所社の社殿を春日宮曼荼羅(かすがみやまんだら)の定形を踏まえて描いていることから、地蔵は本社第三殿の本地仏を示すとみなされる。御蓋山部分に六体配するのは、六地蔵の意と解され、それに呼応して図中に六道の描写も見られる。下端中央に熱湯の釜から救われた童子形の亡者(もうじゃ)たちを鬼たちが見る地獄(じごく)道、右端に大きい腹の餓鬼(がき)が飯を傍らに坐る餓鬼道、左端の少し上に牛が伏す畜生(ちくしょう)道、上部右端に阿修羅(あしゅら)が坐(すわ)る阿修羅道、上端に天人が倒れ伏す天道を配する。人道は確認しがたいが、春日社の下辺の殿邸がそれにあたるかと思われる。六道の各々に地蔵を雲集させ、救済の強力さを表している。類例のない作品であるが、信仰の実態が分明でない春日の千体地蔵について、優れた表現で鮮明な表象を形作る。
(中島博)
おん祭と春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2006, p.56, no.42.

