春日社の神体山(しんたいさん)である御蓋山(みかさやま)を背後に、桜や松などの木々が茂る春日野の景観を描き、その中央に「春日大明神(かすがだいみょうじん)」の名号(みょうごう)を金字で大きく記す。中央の参道や土坡(どは)、霞に金泥(きんでい)を掃くのは、神域の荘厳(しょうごん)を意図したものである。画中に春日社の社殿が一切描かれないのは春日曼荼羅(かすがまんだら)としては異例であり、春日神の存在を象徴する社殿と置換可能な礼拝対象として、大明神号を表したと考えられる。樹木などの精緻な描写が鎌倉時代中期の春日曼荼羅に共通することから、制作は十三世紀に溯(さかのぼ)るとみられる。
なお、米国・イェール大学美術館本に表される大明神号が本品とほぼ同じ書体を踏襲することから、これらの春日名号曼荼羅は元来、扁額(へんがく)などに記された由緒ある大明神号に依拠して成立した可能性があるだろう。
(谷口耕生)
おん祭と春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2007, p.61, no.44.
春日社の社殿を描かず、そのかわりに画面中央に額字風に「春日大明神」と金泥で大書する。名号で春日神を象徴したものとみられる。図の上方には春日山と三笠山を重ね、その右脇に金泥の山麓を少しのぞかせ、春日山には点描状の樹林を、三笠山にはウロコ状の樹林を描く。下方には一の鳥居の東方から神域中心部に至る春日社境内参道を表し、途中、水流とそれにかかる橋を表す。春日社神域には桜・松・檜や杉樹などの樹木がたがいに入り交じり、その間には霞を、下方は幅広く上方では幅狭く樹間に漂うように配している。土坡(どは)は所々に金泥をはく。光をふくんだ表現は神域にふさわしい。描写はきわめて精緻であり、鎌倉時代の作とみられる。
(梶谷亮治)
大和の神々と美術 舞楽面と馬具を中心に, 1999, p.6