『類秘抄』は勧修寺(かじゅうじ)法務寛信(かんじん)(一〇八四~一一五三)が保安四(一一二三)年に編纂した図像集。原題は『類聚秘密』で、諸経からの引用や口決(くけつ)、諸尊の図像などを集めたものである。興然の『五十巻抄』や覚禅の『覚禅鈔』において各巻にわたり引用されるなど、東密勧修寺流(かじゅうじりゅう)を受け継ぐ諸家の事相研究に決定的な影響を与えた。本巻は、巻首に「方便智院」の朱印が捺される高山寺旧蔵本で、「承久二年二月十一日之書/定真本也」という奥書や、ともに伝来した他巻の本奥書の内容も勘案すると、寛信の自筆草案本を弟子である興然が仁平四年(一一五四)に進修寺西明往房において書写し、それを高山寺の定真(じょうしん)(明恵(みょうえ)の高弟)が承久二年(一二二〇)二月に写したことが判明する。本巻に掲載される八図の図像のうち、「東大寺印蔵像」と墨書される二臂(ひ)の十一面観音像が、二月堂修二会(しゅにえ)下七日(げしちにち)の本尊となる小観音(こがんのん)を描いたものである。『覚禅鈔』に引かれる『類聚抄』の逸文には、印蔵(東大寺の印や文書を収めた蔵)の十一面観音像が東大寺二月堂の行法において第八日目に迎えられ、「補陀落観音(ふだらくかんのん)」と呼ばれたことが見えており、由緒が確かめられる。その像容は、頭上に中央・左右の各三面が直立して重なり、中央三面の上に頂上仏面が載って四段となる特異なものであることがわかる。寛信は秘仏であった印蔵像を実見する機会を得たとみられ、図像の傍らに「本面を加えて十一有り、堂本と異なる」という注記を加えてその頭上面に注目している。
(谷口耕生)
お水取り, 2015, p.20
『類秘抄』は、勧修寺流の開祖である寛信(1085~1153)が撰述したもので、事相に関する諸事について、諸経の文章を抄録し、さらに先徳の口決、口伝、図像などを集めたものである。現在、京都栂尾の高山寺に『類秘抄』11冊が伝えられており、この4巻(大自在天已下四天王図像巻、五大尊巻、十一面巻、愛水巻)も、もとは高山寺に伝来したものであり、各巻の巻首には「方便智院」の朱方印が捺されている。
この4巻のうち「愛水巻」を除く3巻に奥書があり、仁平4年(1154)に智海が寛信の自筆本を写したものを、承久2年(1220)に高山寺の定真(明恵上人の弟子)が書写したものであることがわかる。
また4巻のうち「大自在天已下四天王図像巻」には四天王像4図、「十一面巻」には観音図像8図が収められている。
前者の図像は、小栗栖薬師堂像・勧修寺本堂像・勧修寺御影堂像など、他の図像集にはあまり見られないものを含んでいて注目される。特に御影堂像に続く四天王の頭部のみの図像は、智海本を忠実に臨写して貼付したものと考えられ、仁平年間の姿をそのままに伝えて価値が高い。
後者の図像は、『覚禅鈔』巻第四十四「十一面上」(『大正新修大蔵経』所収)に引用されている原本にあたり、『覚禅鈔』と『類秘抄』との密接な関係をうかがわせて興味深い。この巻には、東大寺二月堂の修二会(お水取り)の本尊である十一面観音(小観音)の図像も描かれている。
このように、特に図像を含む2巻は、『覚禅鈔』などに先行する平安時代末期の図像を忠実に伝えた古写本として、図像研究上きわめて貴重である。
なお「大自在天已下四天王図像巻」は、具注暦の紙背に記されている。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.307, no.135.