九州の北西海上、約四〇キロメートル沖に浮ぶ壱岐島鉢形嶺(いきしまはちがたみね)から出土した。滑石(かっせき)製の丸彫像で、経巻を納めるため内部を大きく刳(く)り抜き、像底に方形の開口部を設ける。仏像を経筒(きょうづつ)とした希有な遺品。頭頂に大きな肉髷(にっけい)を備え、手は定印を結び、右足を上に結跏趺坐(けっかふざ)する姿を表わす。石材の制約上、膝(ひざ)の張りが弱くバランスを欠くものの、伏目の表情や軽い猫背、胸の肉感など、平安後期でも早い頃の木彫仏に通じる雰囲気をもち、数少ない平安石仏の傑作に数えられる。胸や肩、背面にかけて願主(がんしゅ)や仏師の名前、そして弥勒如来の出世にそなえて『法華経(ほけきょう)』を胎内に納めた旨が刻まれている。蓮台上面には九品往生印(くぼんおうじょういん)(極楽往生の九等級)が刻まれ、それぞれに結縁者(けちえんしゃ)の名前が記されている。
(吉澤悟)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, pp.252-253, no.63.
長崎県壱岐市鉢形峰(はちがたみね)経塚(きょうづか)出土の滑石製(かっせきせい)の石彫像。滑石は滑らかな触感のある柔らかい石で、彫刻に適している。本像は、礼拝像として制作されたものではなく、中に経典を納入するための器としてつくられ、地中に埋められたものである。もとの石材の大きさの制約からか、膝がアンバランスな体型になっている。
(岩井共二)
みほとけのかたち 仏像に会う. 奈良国立博物館, 2013.7, p.89, no.55.
玄界灘に浮かぶ壱岐島から出土した滑石製の如来像。一つの石塊から削り出した丸彫り像で、衣は通肩(つうけん)にまとい、手は腹の前で法界定印(ほっかいじょういん)を結び、右足を上にして結跏趺坐(けっかふざ)する姿をあらわす。石材の制約から膝の横張りがなく、デフォルメされた体軀となってはいるが、顔や肩の肉付は豊かで堂々としている。螺髪(らほつ)を一つ一つ削り出しているのも手が込んでいる。わが国の石仏で平安時代にまで遡るものは非常に少ない。そんな中で本品は延久3年(1071)の刻銘をもち、完全な姿を残す丸彫り像として、石仏史上最も重要な作品の一つである。
定印を結んでいるので大日如来か釈迦如来、あるいは阿弥陀如来でも・・・と思いきや、背中には「弥勒如来」と刻まれている。半跏思惟(はんかしい)でおなじみの弥勒菩薩ではなく、その未来の姿、釈迦の入滅から56億7千万年の後にこの世に現れる弥勒如来の姿である。弥勒出世の時に備えて、法華経を像内に奉籠したとも刻まれており、像底には確かに大きな内刳(うちぐり)が施されている。石仏でありながら、経巻を納めて地中に埋蔵する「経筒」でもあった。末法思想を考える上で、これほどの珍品、いや重要作品はなかなかお目にかかれないであろう。
(吉澤悟)
奈良国立博物館だより第86号. 奈良国立博物館, 2013.7, p.8.
玄界灘に浮ぶ壱岐島の鉢形嶺経塚から出土した、滑石製の丸彫如来形坐像で、像底に長方形の内刳を施して、経巻を納めるように工夫し、像自体を経容器とした類例のない遺品である。右肩から背面腰部にかけて、延久3年(1071)に始まる願文が刻まれ、弥勒如来の出世にそなえて法華経を仏像の胎内に奉籠した旨が記されている。石像は頭部に螺髪(らほつ)を刻出し、衣を通肩にまとい法界定印を結び、別製の滑石製の蓮台の上に右足を上に結跏趺坐する。石材の制約上、膝張や膝の出の少ない地方作品ではあるが、全体の肉付は、平安後期前半にふさわしい量感をそなえている。蓮台の蓮肉部上面には九品往生印(くぼんおうじょういん)が刻まれ、その中には結縁者の名前が記され、弥勒信仰の複合のさまがうかがわれ、注目される。
(井口喜晴)
奈良国立博物館名品図録 増補版. 奈良国立博物館, 1993, p.134, no.108.

