長方形・印籠蓋造(いんろうぶたづく)りの箱で、蓋の四辺を斜めに大きく面取りする。木製・黒漆塗の地に鳳凰(ほうおう)・孔雀(くじゃく)・鸚鵡(おうむ)・比丘(びく)の文様(もんよう)を表すが、これは漆面に細い刀で彫り込んだ溝に金を擦(す)り込み文様を表す戧金(そうきん)(沈金(ちんきん))という技法によっている。蓋・身の縁周りには貝の細片を蒔(ま)き、本品にきらびやかな趣を与えている。蓋・身の一方の短側面にある「伍」「貞」と「弐」「周」の銘は、蓋と身の組み合わせを示す合印として刻されたものである。本品の類例の多くは、中国・杭州(こうしゅう)で製作されたことが銘より知られ、本品も同地で製作された可能性がある。
(三本周作)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.252, no.62.
長方形、印籠蓋造の箱。折本装の経典を収納する箱として調えられたと考えられる。
蓋の甲面に大きく削面を取り、腰高な身と合わせている。表面には黒漆地に蓋身を通じて鎗金(沈金)の技法で文様が施される。蓋甲には花菱形を切った中に旋回する二羽の鳳凰を表し、身の長側面には同様に旋回する二羽の孔雀、短側面の一方には旋回する二羽の鸚鵡、そして他の一方には雲文の中に合掌する四比丘をそれぞれ表している。口縁及び稜角部分には青貝が施される。内面は朱漆で塗られており、表面の黒漆との対比が鮮やかである。
さて本品と同様の箱は、寸法や文様の若干異なるものを含めると、福岡・誓願寺、広島・浄土寺、広島・光明坊、九州国立博物館(福井・羽賀寺伝来)、福井・西福寺(京都・浄華院伝来)、京都・大徳寺、京都・妙蓮寺、京都・宝積寺に伝わっている。このうち、それぞれ同形同大で同形式の銘文を有し、制作年代や作者、制作地が同じと目される経箱として福岡・誓願寺、広島・光明坊、九州国立博物館のものが、作者の違うものとして広島・浄土寺のものが挙げられる。いずれも蓋裏の銘文から元・延祐2年(1315)に中国・杭州で作られたことがわかるもので、千字文の合印が刻されることから、複数の下請けを使って大量生産されたものと推測される。本品は銘文を有しないが、同様の制作状況が想定されてもよいであろう。
なお、千字文を使用することから本品を含む一連の経箱を一切経の箱とする説もあるが、字配りの問題等なお検討を要する。京都・高山寺伝来。
(清水健)
かつて京都・高山寺に伝来した、孔雀文戧金経箱(浄土寺蔵)とほぼ同形同大の箱。口縁(こうえん)及び稜角(りょうかく)部分に青貝(あおがい)が用いられる点、蓋裏に捺(お)される黒漆印銘がない点、金具の有無、文様などが異なるものの極めて近似した作風を示す。同様の箱は、寸法や文様(もんよう)の若干異なるものを含めると、浄土寺をはじめ福岡・誓願寺(せいがんじ)(今津)、広島・光明坊(こうみょうぼう)(生口島(いくちじま))、九州国立博物館(福井・羽賀寺(はがじ)(小浜)伝来)、福井・西福寺(さいふくじ)(京都・浄華院伝来)、京都・大徳寺(だいとくじ)、京都・妙蓮寺(みょうれんじ)、京都・宝積寺(ほうしゃくじ)に伝わっており、日本海側や瀬戸内など大陸から都へと到る交易路に沿って分布している点は興味深い。本品は蓋甲(ふたこう)に双鳳文(そうほうもん)、身の長側面に双孔雀(くじゃく)文、短側面の一方に双鸚鵡(おうむ)文、他の一方には雲文の中に合掌する四比丘(びく)をそれぞれ表している。四比丘の図様は他の類品にはみられないが、これに通じるものとして大徳寺箱短側面の釈迦三尊の図様が挙げられる。なお、本品は浄土寺蔵品と同様経箱として調(ととのえ)えられたと考えられ、千字文が用いられることからこれらを一切経の箱とする説もあるが、字配りの問題等はなお検討を要しよう。
(清水健)
聖地寧波 日本仏教1300年の源流~すべてはここからやって来た~, 2009, p.299