『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』化城喩品(けじょうゆぼん)第七の一部を刻んだ銅板経。一行あたり三十四字、表裏各二十五行にわたって経文(きょうもん)を刻んでおり、その特徴から大分県・長安寺経塚(ちょうあんじきょうづか)出土の銅板経三十七枚の一枚とみられる。
題箋
経典を伝え残すため、紙よりも強い素材に経文を刻むことが試みられた。滑石経(かっせききょう)(石)、瓦経(がきょう)(土)そして銅板経(銅)である。いずれも遺品は多くなく、西日本ことに九州地方に多く、ほとんど平安時代に限られるという特徴がある。本品は大分県国東半島(くにさきはんとう)にある長安寺(豊後高田市)出土とされる銅板経である。厚さ二ミリメートル程の鋳造製の銅板を色紙形に切りそろえ、表面を平滑に研磨し、表・裏面に『法華経』を刻む。文字は基本的に一行に十七字、一面に二十八行分の罫線を引き、中央に横線を一本引いて上下二段組みに配置する。よって文字数は一丁(片面)で九百五十二字分を刻む計算となる。罫線の間隔は僅か六・五ミリメートル。その間に刻まれる文字は約五ミリメートル四方の小さなものであるが、一画ずつ鏨で丹念に刻字されている。また、字詰めを均一に保つためか、一行の長さを四分割する三本の横線(割り付け線)を針で薄く引いているのが観察される。実に周到な配慮である。本品に刻まれているのは『法華経』の化城瑜品(けじょうゆほん)第七の部分である。字詰から計算すると、当初はこれと同じものが三十七枚で一具を成していたと推定される。最後の一枚とみられる銅板経(東京国立博物館蔵)の奥書に「保延七年八月二日未時打了/金剛仏子僧尊智 金剛弟子僧隆厳/僧永明」と刻まれている。本品もこれと一緒に保延七年(一四一四)に製作されたものと思われる。
(吉澤悟)
まぼろしの久能字経に出会う 平安古経展, 2015, p.142-143

