大宝二年(七〇二)における筑前国嶋郡川辺里の戸籍の一部。筑前国は今の福岡県に含まれる地域で、嶋郡は糸島半島にあたる。戸籍は律令の定めにしたがって六年に一度、各国で作成されて中央へ送られ、政府が民に口分田を支給する際の台帳となるなど、行政上重要な役割を果たした。本品の場合、全面に界線を引いて行取りをおこない、一行に一名分の記載がなされ、行頭から、戸主との続柄、姓名、年令、年令区分、備考の順に記されている。末尾には戸を構成する人数の総計と、国家から班給されている口分田の面積の合計が記載される。字面には「筑前国印」の朱印が捺され、中央付近の紙継目の裏には「筑前国嶋郡川辺里大宝二年籍」の墨書がある。わが国で最初につくられた戸籍は天智(てんじ)朝の庚午年籍(こうごねんじゃく)であるが(六七〇年)、白鳳期を通じて行政機構が次第に整えられ、六八九年の浄御原令(きよみはらりょう)の制定、浄御原令に基づく庚寅年籍(こういんねんじゃく)の作成(六九〇年)などを経て、大宝元年(七〇一)制定の大宝律令(たいほうりつりょう)において戸籍制度は完備する。本品を含む大宝二年の戸籍は、大宝律令に基づく最初の戸籍作成の遺品で、庚午年籍と庚寅年籍がともに一片も伝存しない現在、最古の年紀を持つ戸籍原本でもある。なお、大宝二年戸籍の現存遺品には、筑前国のほかに豊前国(ぶぜんのくに)、御野(みの)(美濃)国のものがある(その大半は正倉院宝物)。
(野尻忠)
開館一二〇年記念白鳳―花ひらく仏教美術―, 2015, p.269-270
戸籍は、戸を単位とした課役・兵士の徴発・班田収授などのために、6年に一度作成された。これは大宝2年(702)の筑前国嶋郡川辺里の戸籍の断簡で、現存する最古の戸籍のひとつである。もとは正倉院に伝来した。
記載方法は1行1名で、戸口の配列は血縁順、戸の終わりには与えられた区分田の総数を記し、文字のある部分と紙の継目の裏には「筑前国印」を捺している。文字は六朝風で、整然と書かれている。
筑前国嶋郡川辺里は玄海灘をのぞむ糸島半島、今の福岡県糸島郡志摩町馬場のあたりと考えられ、嶋郡の郡衙の所在地であった。
紙背は天平20年(748)の「千部法華経校帳」の断簡になっているが、これは戸籍の保存期間が過ぎて写経所で裏面が利用された時のものである。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.305, no.124.