二月五日の実忠忌(じっちゅうき)(現在では三月五日)に用いられたと考えられている六十巻本『華厳経』。紺紙に銀泥で界線を施し、同じく銀泥で経文を書写する。寛文七年(一六六七)に二月堂が全焼した際、焼け跡から発見された。一部は焼け焦げながらも、紺色の料紙に浮かび上がる銀色の文字は独特の美しさを醸し出している。本巻は巻第五の五紙と巻第六の二紙を継いで一巻として調(ととの)えたものである。
(斎木涼子)
お水取り, 2015, p.33
寛文7年(1667)2月14日、東大寺二月堂が修二会(お水取り)の期間中に焼失した折りに、焼け跡の灰の中から発見された『華厳経』(六十巻本)。紺紙に銀泥で界線を施し、銀泥で経文を書写している。料紙に焼損があることから「二月堂焼経」と呼ばれて世に名高い。
「二月堂焼経」は、修二会の内の実忠忌(旧暦2月5日)に用いられたものと考えられており、現存する奈良時代唯一の紺紙銀字経である。通常、銀は酸化して黒く変色するが、この銀字は書写された当初そのままのように白く輝き、比類のない清澄な美しさを感じさせる。文字も謹厳整斉でゆるみがなく、奈良時代中期のすぐれた写経生の手になるものであろう。
当館が所蔵するのは、巻第五が5紙、巻第六が2紙、巻第二十一が9紙、巻第二十三が1紙のあわせて17紙。現在はこれを2巻(甲・乙)に仕立てている。上部には焼損がなく、下部の焼損も界線には及んでいない。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.301, no.105.