法華経勧発品に説かれる、法華経信仰を守護する普賢菩薩と、陀羅尼品に説かれる、同じく信仰者を守護する十羅刹女・鬼子母神、さらに随侍の薬王・勇施の二菩薩、持国・毘沙門の二天が一団となって大飛雲上に乗り、修行者の前に現れる。六牙白象に乗る大ぶりの普賢菩薩像は、袈裟を着した宋元風の姿に表わされ、(異例の表情の象も元画を反映する)、その一方、十羅刹女(一尊を欠く)と鬼子母神は、宮廷の女房に姿を借りて表わすという特色ある図様である。各尊を確かな描線でしっかりと描き、十羅刹女の着衣には精緻な文様を施して、すぐれた表現が見られる。普賢十羅刹女像は平安時代後期に創出され、そこには宮廷の高貴な婦女の間の信仰が大きく関わっている。本図のように女房装束に表わしたものは、当時の信仰生活に引き寄せてより身近な制作背景で成立したものと解釈され、わが国絵画史上の興味深い事例である。
(梶谷亮治)
女性と仏教 いのりとほほえみ, 2003, p.233
『法華経』の勧発品に説かれる、『法華経』持経者を守護する普賢菩薩と、陀羅尼品に説かれる、同じく信仰者を守護する十羅刹女・鬼子母神(きしもじん)、さらに随侍の薬王・勇施の二菩薩、持国・多聞の二天が一団となって大飛雲上に乗り、修行者の前に現れる。
六牙白象に乗る大ぶりの普賢菩薩像は、袈裟を着して宋風の姿に表され、その一方、十羅刹女(一尊を欠く)と鬼子母神は、十二単を着した和装に表するという特色ある図様である。和漢の趣向をあわせた絵様は当時の人々に特別な感銘を与えたことだろう。各尊を確かな描線で象りしっかりとした構図を作り、さらに十二単などの着衣には諸色による精緻な文様を施して、すぐれた画趣をあらわしている。
普賢十羅刹女像は平安時代後期に創出された図様と推測され、そこには宮廷の高貴な婦女の間の信仰が大きく関わっている。図様には十羅刹女が唐装のものと、本図のように信仰者自身になぞらえて和装に表したものと二種がある。特に後者は当時の信仰生活に引き寄せられてより身近な制作背景で成立したものと解釈され、わが国絵画史上の興味深い事例となっている。遅くとも12世紀半ばには成立したと推測される和装の普賢十羅刹女像は意外に遺例が乏しく、本図は東京・個人蔵本につぎ、兵庫・福祥寺本に先行する位置にある。
(梶谷亮治)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.315, no.166.