天神山古墳は、大和盆地東辺に立地する柳本(やなぎもと)古墳群の中の1つで、いわゆる崇神(すじん)天皇陵の西方に位置する全長113メートルの前方後円墳である。銅鏡は、後円部中央の竪穴式石室の中の木櫃(ひつ)の内外から発見されたものである。その櫃内には41キログラムの水銀朱が埋納され、これをとりまくように鏡面を上に向けて20面の鏡と、木櫃外にも3面の鏡が並べられ、さらにその内外に鉄剣、鉄刀、鉄鏃、刀子、鎌などが置かれていた。 鏡は木櫃の周縁に沿って北から右廻りに20面で一周し、櫃外の北側に2面と南側にも1面が配され、その内訳は、方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)6面、内行花文鏡(ないこうかもんきょう)4面、画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)4面、獣形鏡(じゅうけいきょう)4面、画像鏡(がぞうきょう)2面、三角縁変形神獣鏡(さんかくぶちへんけいしんじゅうきょう)2面、人物鳥獣文鏡(じんぶつちょうじゅうもんきょう)1面である。
天神山古墳の年代は4世紀後半ごろとされているが、これらの鏡は前期古墳によくみられる典型的な三角縁神獣鏡を含まず、後漢時代の方格規矩鏡や内行花文鏡などを主体とする特異な組合せを示している。天神山古墳は遺体を埋納した形跡がなく、すぐ東に崇神天皇陵があり、同陵の遺物のみを埋納した陪塚(ばいちょう)とも考えられている。
(井口喜晴)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, pp.278-279, no.7.
後円部中央の竪穴式石室に納められた木櫃の内外から発見されたものである。木櫃内に四一キログラムにも及ぶ大量の水銀朱が埋納され、これをとりまくように鏡面を上に向けて二〇面の鏡と、木櫃内の四側面に絹で包んだ各一口の鉄剣が納められ、木櫃外にも鏡三面のほか、鉄刀、鉄鏃、刀子、鎌などが置かれていた。なお、鏡は木櫃の周縁に沿って北側から右廻りに一周し、それぞれ(1)~(20)の番号を付し、櫃外のそれは北側の二面を(21)、(22)、南側の一面を(23)とする。(1)流雲文縁方格規矩鏡 一面(2)画文帯神獣鏡 一面(3)内行花文鏡 一面(4)内行花文鏡 一面(5)三角縁変形神獣鏡 一面(6)画文帯神獣鏡 一面(7)獣形鏡 一面(8)流雲文縁方格規矩鏡 一面(9)流雲文縁方格規矩鏡 一面(10)画像鏡 一面(11)画像鏡 一面(12)画文帯神獣鏡 一面(13)獣形鏡 一面(14)画文帯神獣鏡 一面(15)三角縁変形神獣鏡 一面(16)波文縁方格規矩鏡 一面(17)内行花文鏡 一面(18)獣形鏡 一面(19)波文縁方格規矩鏡 一面(20)内行花文鏡 一面(21)流雲文縁方格規矩鏡 一面(22)人物鳥獣文鏡 一面(23)獣形鏡 一面(24)鉄剣 残欠。
(1)径二三.四センチ。欠失部が多いが、典型的な方格規矩鏡である。外区に流雲文と鋸歯文がめぐる。内区には「…棗日天□四海…長宜」の銘文帯があり、その内側に八個の内行花文座乳を置き、その間に四神と四獣を表す。四面座の周りの方格内に十二支の名称を刻む。(2)径一三.八センチ。外区に連渦文と飛獣走獣文をめぐらす。内区は外縁に半円と方形格を交互に配した珠文帯を置き、方形格内に「天」「王」「日」「月」の銘を刻む。主文は、八個の環状乳の間に交互に配された四神と四獣で、鈕の周りには有節重弧文座がめぐる。(3)径一九.七センチ。典型的な四葉文座鈕の内行花文鏡である。内区の主文は八花文で、その外縁に櫛歯文帯に挟まれた五本の平行線文帯がめぐる。鈕座に「長□宜□」の銘文が見られる。(4)径二〇.四センチ。四葉座鈕内行花文鏡で、葉座の間に「長□子孫」の銘があり、花文の間に〓と刻む。櫛葉文に挟まれた平行線文は四条である。(5)径一七.三センチ。三角縁で、外区外縁に平行鋸歯文、内縁に櫛歯文帯をめぐらす。内区は四個の高く突出した乳を置き、その間に二神と二獣を対称的に配し、神像の両側にそれぞれ二個の巴形図文と小珠文が添えられる。鈕座は、凸線で四花文状に表される。(6)径一六.三センチ。外区に菱雲と飛禽走獣文がめぐる。内区外縁の銘文帯は半円区と方形区を交互に配し、一五個の方形区に「□□作□□自□紀□□長□□□□」の銘文を刻む。内区は四個の円座乳をめぐって怪獣が表され、その間に四神が放射状に配されている、鈕は円座鈕である。(7)径一六.七センチ。外区は平行鋸歯文がめぐり、銘帯は間伸びするS字状の文様を十五個入れ、擬銘帯とする。内区には四個の乳の間に四獣が配され、さらに渦文状の文様を混える。鈕座は三条の重弧文座。(8)径二〇.三センチ。外区に流雲文がめぐる典型的な方格規矩四神鏡で、内区の方格内に十二支の名称、内区外縁に「尚方作竟真大巧上□□□□□老渇〓玉泉汎食棗浮由天下□四海兮」と刻まれている。(9)径二〇.八センチ。これも外区に流雲文がめぐる典型的な方角規矩四神鏡で、方格内に十二支の名称、外銘帯に「尚方作竟真□□□□□人不知□渇〓□□汎食□□□□□□□□□四海寿敞金石国□保兮」と刻まれている。(10)径一六.八センチ。外区に流雲文と鋸歯文がめぐり櫛歯文帯を経て内外区外縁の「劉氏作明竟自□善同出丹□□□得□□凍五金服者敬奉□□□刻」の銘文帯に続く。主文は大きな珠文円座乳を四個置き、その間に竜・虎と見られる二像と脇侍を伴う二軀の神像を対称的に配し、一つの神像には「西王母」、その脇侍には「玉女」と刻まれている。珠文円座鈕。(11)径一八.七センチ。外区に流雲文と鋸歯文がめぐり、櫛歯文帯を経て内区外縁の「劉氏作明竟自□善同出丹□□□得□□凍五金服者敬奉□□□刻」の銘文帯に続く。主文は大きな珠文円座乳を四個置き、その間に竜・虎と見られる二像と脇侍を伴う二軀の神像を対称的に配し、一つの神像には「西王母」、その脇侍に「玉女」と刻まれている。珠文円座鈕。(11)径一八.七センチ。欠損部があるが、(10)と同様の神人竜虎画像鏡と推定される。銘帯は「東王□□王母」の部分のみ判読できる。神像には三山冠をつけたものが見られる。(12)径一二.九センチ。欠失部があり詳細は不明。外区に菱雲文と走獣文がめぐり、銘文帯は半円方形帯からなり、方形区に一字ずつ配したようであるが、不鮮明で判読できない。(13)径一三.一センチ。欠失部が多く詳細は不明である。三角縁で、内区に鋸歯文帯、櫛歯文帯、鋸歯文帯がめぐり、内区に四個の円座乳を置き、怪獣が表されている。鈕座は太い有節環状圏座。(14)径一六.七センチ。平縁で外区に連渦文と飛禽走獣をめぐらし、櫛歯文帯を経て半円方形帯の内区外縁に至る。方形区に「天」「王」「月」「日」の銘を刻む。主文は八個の環状乳の間に表された四神と四獣で、それぞれ対称的に配されている。鈕座は有節重弧文座。(15)径一七.四センチ。三角縁で内縁に鋸歯文帯をめぐらす。内区外縁は鋸歯文帯、櫛歯文帯、珠文帯で飾り、主文は四個の乳の間に二神と二獣を対称的に表し、神像にはそれぞれ左右に脇侍が伴う。(16)径一五.八センチ。方格規矩鏡であるが、通例に見られる方格内の十二支の銘は省略され、図形化されている。内区外縁の銘帯に「尚方作竟真大巧上有□人不□□渇〓□□汎食□□□天下」とある。(17)径一五.四センチ。四葉座鈕の内行花文鏡で、四葉の間に「長宜□□」の銘がある。内区の主文は八花文。全体に銹化が著しい。(18)径一八.三センチ。三角縁で、外区は鋸歯文帯、複線波文帯、鋸歯文帯からなる。内区外縁には櫛歯文帯と有節重弧文がめぐり、主文は四個の円座乳を配してその間に獣形を表す。鈕座は重圏文座。(19)径一六.〇センチ。鋳上がりが悪い上に欠失部があり詳細は不明であるが、方格規矩鏡と考えられる。外区は鋸歯文帯、波文帯、鋸歯文帯がめぐり、帯銘に「□□竟真大…兮」の文字が判読できる。(20)径二三.八センチ。二三面中最大のものである。四葉座鈕内行花文鏡で、葉座の間に「長宜子孫」の銘があり、主文の八花文の間には「寿如巾石佳且好兮」の銘文を刻む。内区外縁は櫛歯文帯に挟まれ、重圏文で区切られた平行線文帯がめぐる。(21)径一四.〇センチ。鋳上がりがあまりよくなく、不鮮明である。外区は流雲文縁で、内区に鳥形の文様がわずかに見えるが、外縁銘帯の文字は現状では判読不能である。(22)径一五.一センチ。半三角縁で、外区は鋸歯文帯、三条の波文帯、鋸歯文帯からなり、内区外縁の櫛歯文帯を経て内区の主文帯に続く。内区には四個の円座乳を置き、その間に四人の人物と四匹の多足獣を配して主文とし、されにそれらの間に四匹の鹿、二匹の亀、小鳥、小獣を散らし、日本的な文様を構成している。鈕座は円座。(23)径一三.六センチ。半三角縁で、外区に二列の鋸歯文帯がめぐり、櫛歯文帯を経て銘帯に続く。銘文は「青竜」の二文字が辛うじて判読されるにすぎない。内区には六個の円座乳を置き、その間に六匹の獣形が表されている。鈕座は有節重弧文座。以上のほか、直刀三口、鉄剣四口、刀子一口、短冊形鉄器一枚があり、鉄剣(24)には木装の柄部に直弧文が施されている。また、前方部からは布留式の土師器・壺の破片が出土している。
山辺の道の考古学―古墳・祭祀遺跡・仏教遺跡の出土品―, 1992, p.16-21