銅矛は銅鐸(どうたく)と並ぶ弥生時代のまつりの道具。槍のように長い柄の先に付けた武器が、鋭い刃を失い、形だけ大型化して祭器となった。本品は大柄ながら、刃幅が狭いものから広いものへと変化する過渡的な段階にあり、中広形銅矛と呼ばれている。柄を挿し込む袋(ふくろ)部は途中で詰まっており、もはや柄を装着することは意図されていない。本品は、愛媛県の東端、四国中央市のほぼ中央を流れる金生川の川床で、穂先を下にして上半の三分の二近くを土砂の中に挿し込んだ姿で発見されたという。同種の中広形銅矛は、北部九州から四国の海岸沿いに多く分布しているが、本品はその中でも形状、残存状態ともに良好な一つである。
(吉澤悟)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.280, no.238.
銅質の良好な中鋒(なかさき)銅鉾で、穂部は中央でくびれ、刃部は左右ともに刃こぼれがあり、鋒(きっさき)部付近には土の中に挿しこんであったためか擦痕がみられる。袋部は断面が楕円形をなし、その両側面は鰭(ひれ)状を呈し、銎(きょう)(袋部)の深さは約4.3センチメートルである。袋部の基部には節帯がみられ、その位置は耳のほぼ中央部に設けられる。耳は基底部から1.8センチメートル上に付設されるが、紐孔は塞がったままで、文様もみられない。出土状況は愛媛県の東端に位置する四国中央市のほぼ中央を流れる金生川の河原田橋の下流約150メートルにあたる浅い川床の中で、穂先を先にして上半の3分の2近くを土砂の中に挿し込んだ姿で発見され、その他の伴出遺物はみられなかった。この鉾は日本製で、狭鋒(せまさき)銅鉾から広鋒(ひろさき)銅鉾に移行する過程の中鋒銅鉾である。中鋒銅鉾は北部九州~四国(筑前・筑後・豊後・伊予・讃岐・土佐)の海岸沿いに主に分布するが、この鉾もそれらの中の1例として重要な位置を占めている。
(井口喜晴)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.277, no.2.

