昭和三十三年(一九五八)、奈良県天理市岩屋町で発見されたもの。墓誌は短冊形の銀板で、表裏面に計三十二字を刻む。その銘文により、被葬者の名前は道薬で、出自は大楢君(おおならのきみ)、そして佐井寺(さいでら)の僧侶であったと分かる。佐井寺、道薬、大楢君はいずれも史書にはみられないが、佐井寺は大神神社(おおみわじんじゃ)(桜井市)近くにあった狭井寺(現存せず。同名の神社あり)に比定する説がある。大楢君は渡来系氏族とみられ、出土地近くに今も楢神社が祀られている。本品は日本の古代墓誌十六件の内、唯一の銀製品である。骨蔵器はいわゆる薬壺形(やっこがた)で、肩の左右に把手(とって)をつける。魔除けの意味か、壺の内外面に朱が塗られている。
(吉澤悟)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.246, no.21.
昭和三十三年(一九五八)に天理市岩屋町の通称西山の尾根の斜面から発見され、骨蔵器の中には墓誌と遺骨を納め、その上に須恵器の大甕を被せ、周りを礫石混じりの小封土で覆っていたといわれる。墓誌は銀製の短冊形の延板で、表裏両面に合計三十二文字をタガネで深く刻んでいる。銘文によると被葬者は大楢君素止奈の孫の佐井寺僧道薬で、和銅七年二月二十六日に死去したことが知られる。佐井寺、道薬、大楢、素止奈はともに史書にはみられないが、佐井寺については大和郡山市長安寺町の佐比寺(西寺)ともいわれ、また桜井市大三輪町の大神神社東北の狭井神社付近の狭井寺とも考えられている。大楢君は出土地付近の櫟本町とその北の楢町に居住していた渡来系の氏族とみられ、現在も大楢神社が祀られている。なおこの墓誌は日本出土の十六件の墓誌のうち、唯一の銀製品である。
(井口喜晴)
天平, 1998, pp.244-245
昭和33年(1958)に奈良盆地の東北山麓、通称西山の尾根斜面から発見されたもので、骨蔵器の中に墓誌と遺骨を納め、その上には須恵器(すえき)の大甕(おおがめ)を被せて周りには礫石混りの小封土を盛っていたという。墓誌は銀製短冊形の小延板で表裏に36文字の墓誌銘をタガネで深く刻む。それによると、被葬者は、大楢君素止奈(おおならのきみそとな)の孫、佐井寺僧の道薬で、和銅7年(714)2月26日に死去したことが知られる。佐井寺、道薬、大楢、素止奈はともに史書にはみえないが、佐井寺については大和郡山市長安寺町の佐比寺(西寺)にあてるほか、桜井市大三輪町の大神神社東北の狭井神社の近くにあった狭井寺とする考えもある。大楢君は出土地付近の櫟本(いちのもと)町から楢町に居住していた渡来系の氏族とみられ、現在も樽神社を祀る。なお、骨蔵器は奈良時代に特有の薬壺(やっこ)形の須恵器で、肩の左右に把手をつけ、全面に朱を塗るが、特に内面に厚く残っている。大阪府南部の陶邑(すえむら)古窯の焼成品である。
(井口喜晴)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.281, no.17.

