銅鐸は弥生時代のまつりの道具。いまだに詳しい用途は不明だが、最初は小型のベル形のものが次第に大型化し、吊り下げて鳴らす機能を失い、視覚的にインパクトの強い据え置く祭具に変化したと言われている。「霊力の籠る器物」のような性格が想像されよう。本品は僧侶の袈裟(けさ)を思わせる文様から袈裟襷文銅鐸(けさだすきもん)と呼ばれる。また、考古学的には、小さな「耳」や文様帯の特徴から、「三遠式(さんえんしき)銅鐸」(三河と遠州を中心に分布する型式)に分類される。上部のアーチ状の鈕(ちゅう)は平板化、装飾化しており、吊り下げる機能は退化している。本品は天保九年(一八三八)に遠江国敷知郡釣(つり)村(静岡県浜松市三ヶ日町大字釣)で二個一緒に発見されたものの一つで(他の一個は東京国立博物館所蔵)、当時編纂された『銅鐸図説』にも紹介されている。学会では「釣銅鐸」と呼ばれてきたもので、学史的にも重要な銅鐸である。
(吉澤悟)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.280, no.237.
釣2号とよばれる袈裟襷文(けさだすきもん)銅鐸の一種で、とくにこの形式のものは、愛知県の三河地方と静岡県の遠江地方に集中して出土するので三遠式(さんえんしき)銅鐸とよばれている。両面ともに身部には縦横の突線で区画した6区を、主に綾杉文と格子文でその周囲を縁取り、鈕は突線鈕で、突線上には綾杉文帯を配し、内縁部には連弧文をめぐらせ、外側には鋸歯文帯を二重にめぐらしている。また身部に鋳出された数条の横突帯が、中央の縦突帯を貫き、鰭(ひれ)部にまでおよび、この種の銅鐸の特徴をよく表している。この釣2号銅鐸は、1号銅鐸とともに、天保9年(1838)に遠江国敷知郡釣村(現、三ヶ日町大字釣)で発見され、当時編纂された『銅鐸図説』 にも紹介されたものである。現在釣1号は東京国立博物館に所蔵されている。銅鐸分布圏は遠江地方を外縁部とするが、本品もその一例である。
(井口喜晴)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.278, no.5.

