画面左上から涌雲(ゆううん)に乗って飛来する地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を描く。上部に春日社の神体山である御蓋山(みかさやま)及び春日山、下縁に春日野を表すとみられる樹木や神鹿(しんろく)の姿が配されることから、春日三宮の本地仏(ほんじぶつ)である地蔵菩薩が、春日野の地下にあるとされる地獄から衆生(しゅじょう)を救済するために来迎(らいごう)する姿を表すと考えられる。地蔵菩薩は右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に緑色透明の宝珠(ほうじゅ)を持って踏割蓮華座(ふみわりれんげざ)上に立ち、頭部からは截金(きりかね)による光芒(こうぼう)が放射状に伸びる。肉身は白色に塗り、その端正な容貌(ようぼう)を繊細な淡墨線で描き出している。着衣に卍繋(まんじつなぎ)、麻葉繋(あさのはつなぎ)等の精級な截金文様(もんよう)を施し、装身具や錫杖などを金泥(きんでい)の彫塗(ほりぬり)で表すなど、鎌倉後期仏画の特色がよく表れている。なお右下方をよく見ると、地蔵の傍(かたわ)らに坐(ざ)す鳥帽子(えぼし)直衣(のうし)姿の人物が描かれていることに気付く。現状ではその容姿は顔料によって塗りつぶされており、制作途上で図様の改変が行われたようだ。当初は本画像の発願者(ほつがんしゃ)、あるいは春日三宮の本地仏(ほんじぶつ)・地蔵と対峙(たいじ)するように垂述神(すいじゃくしん)・天児屋根命(あまのこやねのみこと)を描くことが意図されていたのかもしれない。
(谷口耕生)
おん祭と春日信仰の美術-特集 大宿所-. 奈良国立博物館, 2018.12, p.50, no.28.
画面左上から涌雲(ゆううん)に乗って飛来する地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を描く。上部に春日社の神体山である御蓋山(みかさやま)及び春日山、下縁に春日野を表すとみられる樹木が配されることから、春日三宮の本地仏(ほんじぶつ)である地蔵菩薩が、春日野の地下にあるとされる地獄から衆生(しゅじょう)を救済するために来迎(らいごう)する姿を表すと考えられる。地蔵菩薩は右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に緑色透明の宝珠(ほうじゅ)を持って踏割蓮華座(ふみわりれんげざ)上に立ち、頭部からは截金線(きりかねせん)による光芒(こうぼう)が放射状に伸びる。肉身は白色に塗り、その端正な容貌(ようぼう)を繊細な淡墨線で描き出している。着衣に卍繋文(まんじつなぎもん)、麻葉繋文(あさのはつなぎもん)等の精緻な截金文様を施し、装身具や錫杖などを金泥(きんでい)の彫塗(ほりぬ)りで表すなど、鎌倉後期仏画の特色がよく表れている。なお右下方をよく見ると、地蔵の傍(かたわ)らに坐(ざ)す烏帽子(えぼし)直衣(のうし)姿(すがた)の人物が描かれていることに気付く。現状ではその容姿は顔料(がんりょう)によって塗りつぶされており、制作途上で図様の改変が行われたようだ。当初は本画像の発願者(ほつがんしゃ)、あるいは春日三宮の本地仏・地蔵と対峙(たいじ)するように垂迹神(すいじゃくしん)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)を描くことが意図されていたのかもしれない。春日三宮地蔵に対する信仰は、貞慶や弟子の璋円(しょうえん)によって鼓吹(こすい)されたこともあって鎌倉時代の南都を中心に隆盛を見せたが、本品はまさにこうした時期の信仰の有り様を具体的に示す作例として貴重である。
(谷口耕生)
解脱上人貞慶 鎌倉仏教の本流 御遠忌800年記念特別展, 2012, p.240

