巻頭の首題(しゅだい)下に、「泉福寺常任」の朱文長方印(しゅもんちょうほういん)が捺(お)されることから、「泉福寺経」と通称される『華厳経』(旧訳の六十巻本)の遺巻。淡い青緑色の料紙に金銀の箔を散らす装飾を施し、金泥で界線を引き(界高一九・二、界幅約一・八センチメートル)、経文を墨書する。巻頭付近を中心に紙の上下幅が焼損しており(現在は修復済)、この焦げ跡の茶色が料紙の青緑色と調和して絶妙な美しさが生み出されている。墨文字は、平安時代後半に相応しい和様(わよう)の優しい筆跡。第一紙の右端にわずかに残る見返(みかえ)し部分には、繊維の小片が付着しており、当初は見返しに絹布が掛かっていた可能性がある。施福寺所蔵の法華経妙音菩薩品(みょうおうぼさつほん)などのように、見返しに絹絵が描かれているものであろうか。いずれにしても、青緑色の紙を用いた写経自体が稀で、そこに金銀箔散らしを加え、さらに見返し装飾があったとすれば、そのような装飾経(そうしょくきょう)は他に例がない。泉福寺経は、一紙分以下の断簡が掛軸(かけじく)の形、もしくは手鑑(てかがみ)に貼り込まれる形で伝存している場合が多い中で、本品は巻子の形で、しかも欠落なく一巻が丸々残されている点で、きわめて貴重な遺品と言えよう。なお、巻頭朱印にみえる「泉福寺」を、中世に河内国(かわちのくに)にあった同名の寺院とする説もあるが、確かなことはわかっていない。
(野尻忠)
まぼろしの久能字経に出会う 平安古経展, 2015, p.152
巻頭に「泉福寺」の朱印が捺されることから、「泉福寺経」と呼ばれる装飾経である。青緑色の紙に金泥で界線を引き、『華厳経』(60巻)の巻第五十を墨書する。料紙はきわめて手の込んだものであり、三層(表・中・裏)になっている。表と裏の層は藍染めした紙を混ぜて漉き直した紙であり、藍色の短い繊維が確認できる。さらに経巻の前半の料紙には金箔が、後半には金箔と銀箔が散らされている。本経巻は火災にあったため上下が焼損しており、焦げ残った部分が欠落しないように、現在は裏から補紙があてられている。なお、本巻の僚巻と考えられるものが、根津美術館や立命館大学、京都国立博物館などに所蔵されているほか、断簡が存在している。
(斎木涼子)