修験道(しゅげんどう)の聖地白山(はくさん)の岐阜県側の麓にある、長瀧寺(ちょうりゅうじ)(郡上市)伝来とみられる像。穏やかな表情で合掌する姿は不動明王の脇侍矜羯羅童子(こんがらどうじ)に一致し、山岳信仰における童子像の系譜を考える上で重要。
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岐阜県郡上市の長滝寺(ちょうりゅうじ)(明治時代に長滝寺と長滝白山神社(ながたきはくさんじんじゃ)に分離)伝来とされる。長滝寺は修験道の一大聖地である白山(はくさん)の美濃国側の登攀口(とうはんぐち)にあり、白山信仰の一大拠点であった。白山修験における金剛童子は不動明王の脇侍(きょうじ)、制吒迦童子(せいたかどうじ)に近い形にあらわされるが、本像の合掌して直立する姿は、不動明王のもう一方の脇侍である矜羯羅童子(こんがらどうじ)の姿に近い。生々しい風貌と、弾力感と奥行のある体軀(たいく)、両腕を蟻枘(ありほぞ)で留める技法など、鎌倉時代の金銅仏の特徴を示すもので、制作年代は十三世紀中葉と考えられる。
(岩井共二)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2022, p.153, no.210.
修験道(しゅげんどう)の一大聖地であった白山の、美濃国側の登攀(とはん)拠点に位置する岐阜県郡上市の長瀧寺(ちょうりゅうじ)(明治期に長瀧寺と長瀧白山神社に分離)にあったとみられる像。天台密教では阿弥陀仏の化身とされた金剛童子は白山修験で非常に重視され、不動明王の脇侍・制吒迦童子(せいたかどうじ)に近い姿に表現される。しかし本像の姿は頭髪を総(そうはつ)とすること、比較的穏やかな面貌表現、合掌する姿、着衣形式など、不動のもう一方の脇侍・矜羯羅(こんがら)童子に一致する。尊名比定になお謎をのこすが、山岳信仰における童子形像の系譜を考える上で、重要な遺品。
(稲本泰生)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.122, no.165.

