鏡面を模した銅板上に、十一面(じゅういちめん)観音(かんのん)、不動(ふどう)明王(みょうおう)、毘沙門天(びしゃもんてん)の三尊を鋲留(びょうど)めした懸仏(かけぼとけ)。この三尊構成は天台系の造像に多くみられことから、本品も日吉山王(ひえさんのう)信仰あるいは白山(はくさん)信仰に基づくものと思われる。
題箋
円形の銅板(鏡板)に丸彫に近い尊像を装着した懸仏。尊像は中尊の十一面観音坐像、右脇侍に毘沙門天坐像、左脇侍の不動明王坐像の三躯で、十一面観音の頭上に八葉蓮華形の天蓋を鋲留めし、中尊と脇侍の間にそれぞれ水瓶を配している。鏡板の裏面に、文永元年十二月十七日と建長四年十月十日の年紀が墨書されている。二つの年号は別筆で、十二年の隔たりがあるところから、建長四年(一二五二)に製作された後、この懸仏を懸ける社が文永元年(一二六四)に遷宮されたことが推測される。伝来は不明であるが、毘沙門天と不動明王を脇侍に用いる例は天台系に見られることから、本品は天台宗と関係の深い山王信仰に関わる可能性がある。
(内藤栄)
円形の銅板(鏡板)に丸彫に近い尊像を装着した懸仏。鏡板は木胎を伴わない銅板で表面のみ鍍錫を行い、縁に覆輪(ふくりん)をめぐらして要所に鋲を打ち、両肩に魚々子地(ななこじ)に宝相華文を線刻した吊金具を付けている。尊像は中尊の十一面観音坐像、右脇侍の毘沙門天坐像、左脇侍の不動明王坐像の三軀で、十一面観音の頭上に八葉蓮華形の天蓋を鋲留めし、中尊と脇侍の間にそれぞれ水瓶を配している。十一面観音像は蓮華座に坐し、左手に持物(おそらく蓮枝)をとり、右手を膝上で念じた姿を見せる。光背は中央で左右二材に分け、重ねて透彫したもので、対称に唐草文が表わされている。毘沙門天像は岩座まで一材で、右手は宝棒(欠失)、左手で宝塔を捧げている。不動明王も同様に岩座と本体を一材とするが、左腕は別材とし、アリ枘で指しこんでいる。持物は通例通りの剣と索であったと思われるが、現在は失われている。当像の光背は火焔を透彫した二材よりなる。本品は鏡板の裏面に「文永元年〈歳次甲子〉十二月十七日〈丁卯〉 遷宮 建長四年〈壬子〉歳十月十日」という墨書銘がある。二つの年号は別筆で、十二年の隔たりがあるところから、建長四年(一二五二)に製作された後、この懸仏を懸ける社が文永元年(一二六四)に遷宮されたことがわかる。伝来は不明であるが、毘沙門天と不動明王を脇侍に用いる例は天台系に見られることから、本品は天台宗と関係の深い山王信仰に関わる可能性がある。中尊寺円乗院所蔵の金銅釈迦如来御正体に見るような平安時代後期の懸仏が、南北朝時代以降の、吊金具、天蓋や水瓶を具えた懸仏へと移行する過渡期的な作品と考えられる。
(内藤栄)
神仏習合-かみとほとけが織りなす信仰と美―, 2007, p.284

