インドの霊鷲山で、釈迦が菩薩(ぼさつ)や弟子などに対して教えを説く場面を鮮やかな色彩で描く。画面の下方には、穏やかで風情に富む山景や、山中の水流、そこにかかる橋が、広々と描かれるが、これは霊鷲山に至るまでの道筋を表している。人間の生きる世界と同じ地平に存在する山であるという当時の霊鷲山への認識を伝えるとともに、平安時代以来の伝統を保つ山水表現も貴重である。鎌倉時代の文暦元年(一二三四)の修理以降、数回の修理が行われ、その間長く比叡山あるいはその関連寺院に伝来し、近代には村山龍平氏の蔵品として知られた。
(北澤菜月)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.254, no.72.
釈迦の浄土と称される、天竺(インド)摩掲陀国の王舎城外にある霊鷲山中で、釈迦が説法し、諸菩薩・十大弟子・四天王・諸天部が聴聞する情景を表し、背後に霊鷲山の山並み、手前にも多めに自然景観を描いている。釈迦を初めとする諸像は、平安時代に確立された仏画の様式を基としながら、中国・宋の画風も取り入れて、華麗さに軽快さを加えた清新な趣を示す。自然景の表現は、特に下部において、山や岩、土坡、瀧と水面など地形の諸要素を含み、松や花咲く樹木も配しており、青緑の鮮やかな彩色も、唐風を基に平安時代に練り上げられた山水表現の様式を正しく受け継ぎ、情趣深いが、端正に整理され、やや沈静の感さえある点に、鎌倉時代らしさも示している。この部分は、全体の中でかなり大きい割合を占めており、単なる自然描写ではなく、霊鷲山に到るまでの道の表現であることが、他の諸作品を参照することによって明かとなり、この図を単なる説法図に留まらせず、釈迦の遺跡に対する憧憬を表す独特の図としている。
(中島博)