画面上半に西から東を向いた俯瞰の視点による春日大社の神域、下半には南から北を向く視点で興福寺の主要伽藍(がらん)を描く。春日社景は一之鳥居から神体山の御蓋山(みかさやま)に至る中心軸を挟んで左右に本社と若宮社の社殿が対峙し、興福寺伽藍は南大門から講堂に至る中心堂宇の左右に諸堂が整然と並ぶ。こうした左右対称の正面観を強調した境内景観を上下に配置し、この二つの聖域を結ぶように流れる春日山から発した水流を詳細に描くことで、両社寺が一体の信仰空間を形成していたことを視覚的に表している。社殿や樹木・霞の形態が正安二年(一三〇〇)成立と判明する湯木美術館所蔵の春日宮曼荼羅と近似することから、これにごく近い鎌倉時代後期の作と見ていいだろう。
御蓋山の山上には、向かって左側に春日大社本社第一殿から第四殿に祀られる祭神の本地仏(神の本来の姿とされる仏菩薩)である釈迦如来・薬師如来・地蔵菩薩・十一面観音の四尊と、右に単独で配される若宮本地仏の文殊菩薩が、お互い向かい合うように立つ。社殿の配置と対応するように本社と若宮の本地仏を対置させるのは、若宮社を本社と同等に重視する意図の反映といえよう。若宮社の瑞垣(みずがき)内に若宮初代神主である中臣祐房(なかとみのすけふさ)を祭神として祀る摂社・通合神社(つごうじんじゃ)を描き込むのも、同じく若宮重視の姿勢を表したものと考えられる。
なお、春日山上方の虚空部分に五つの円相の下描きを塗りつぶした痕跡が確認でき、当初は本地仏五尊を円相内に坐像で表す予定だったものを、制作途中で立像に改めた可能性が高い。この本地仏表現の改変を経た現状の図様をそのまま踏襲する作例として室町時代の興福寺本が知られており、本品はこうした図様の祖本に当たるとみられる。
(谷口耕生)
春日大社若宮国宝展-祈りの王朝文化-. 奈良国立博物館, 2022.10, p.123, no.13.
上方に春日社(春日大社)の風景を、下方には興福寺(こうふくじ)の主要な堂塔を描く。春日社殿の上には、春日の神々が仏の姿で表されている。興福寺と、一体とも考えられた春日社との神仏習合を示す。
春日社と興福寺の景観を一幅中に描く春日社寺曼荼羅では、堂内の諸仏を配置して描き、興福寺を示す場合もあるが、本図は興福寺も春日社同様、俯瞰(ふかん)的に諸堂塔を表す形式をとる。興福寺伽藍(がらん)は北を上方として、中金堂を中心とした伽藍とともに、門前の猿沢池までを表し、東を上方とする春日社部分と組み合わせている。この形式は稀だが本図とほぼ同図様の作品として興福寺所蔵の春日社寺曼荼羅が知られる。
(北澤菜月)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.271, no.179.
春日社と興福寺の景観を一幅中に描く春日社寺曼荼羅の一つだが、本図では、興福寺も春日社同様、俯瞰的に諸堂塔を表す形式をとる。春日社同様に興福寺も建築描写によって表す作例には、画面上方を東として画中の方位を統一して表す大阪市立美術館本、根津美術館本といった作品もあるが、本図では、興福寺伽藍は北を上方として、中金堂を中心とした伽藍とともに、門前の猿沢池までを表し、東を上方とする春日社部分と組み合わせている。このような形式の春日社寺曼荼羅は稀少で、本図と同図様の興福寺所蔵の春日社寺曼荼羅が知られる程度である。
本図の本地仏(ほんじぶつ)は立像で、左に本殿四社の本地仏、右に若宮の本地仏が、それぞれの社殿から立ち上がる雲に乗って現れ、向かい合うようにして立つ。よく見ると、虚空には五つの円相を描いた下描きの墨線が確認でき、本地仏を円相中の坐像として表そうとしたものを中途で変更した形跡と見られる。
また、本図では春日社本殿背後の小川や社景内での水の流れが丁寧に描かれ、さらに土手部分に金泥が付されている。その流れは一之鳥居向かって右の橋の下をくぐり、興福寺、猿沢池まで到達する。社景の水の流れに金泥を刷いて強調するのは久度神社本の春日社寺曼荼羅などにも継承されており、こうした表現は水源のある春日山中に祀られた水神、竜神への信仰が反映したものと考えられる。
(北澤菜月)
創建一二五〇年記念特別展 国宝 春日大社のすべて. 奈良国立博物館, 2018, p.317-318, no.120.
春日社と興福寺(こうふくじ)の景観を一幅中に描く春日社寺曼荼羅(かすがしゃじまんだら)の一つだが、本図では、興福寺も春日社同様、俯瞰(ふかん)的に諸堂塔を表す形式をとる。興福寺をも建築描写によって表す作例には、画面上方を東として画中の方位を統一して表す大阪市立美術館本、東京・根津美術館本といった作品もあるが、本図は、安置される諸仏像群を描くことによって興福寺伽藍を表す春日社寺曼荼羅同様、興福寺伽藍(がらん)は上方を北として正面から捉え、上方を東とする春日社部分と組み合わせている。このような図様がほぼ一致する作品に奈良・興福寺本がある。本地仏(ほんじぶつ)は立像で、左に本社四神の本地仏、右に若宮の本地仏が、それぞれの殿社から立ち上る雲に乗って現れている。なお、虚空(こくう)には五つの円相を描いた下描の線が確認でき、本地仏を円相中の坐像(ざぞう)として表そうとしたものを中途で変更した形跡と見られ興味深い。
(北澤菜月)
おん祭と春日信仰の美術 特集威儀物 : 神前のかざり, 2014, p.65
奈良の東郊に位置する春日社と、その西に伽藍を構える興福寺とを、上下に組み合わせて、一体の関係にあることを示し、神仏習合が浸透していた中世の信仰の様相を端的に表している。興福寺部分を、伽藍ではなく諸堂舎の安置仏像で表す図が普通で、またその方が先に成立していたと思われ、本図のような形式は遺品が稀である。春日社は、一の鳥居からはじめ、奥の左手にある本社、右手の若宮など主要な社殿を写し、上部御蓋山と春日山を配し、山の端には金色の日輪が覗く。御蓋山の上には、左に釈迦如来・薬師如来・地蔵菩薩・十一面観音菩薩という、本社四神の本地仏、右に若宮の本地仏、文殊菩薩が、それぞれの神殿から立ち上る雲に乗って現れている。春日社と興福寺とを隔てる霞の部分で、上部は縦の軸が東西、下部は縦が南北と、方位が九十度ずれている。図全体に地理的正確さを求めず、社寺各々を明瞭に写すことを重視したためである。興福寺の伽藍は、中・東・西の三金堂をはじめ諸堂舎が精細に描かれ、堂内に仏像が見えるところもある。下端部の猿沢池や、小道・細流なども写され、総じて実感に富む表現である。
(中島博)
春日社と興福寺の景観を一幅中に描く春日社寺曼荼羅(かすがしゃじまんだら)のひとつだが、本図では興福寺境内(けいだい)も春日社同様俯瞰(ふかん)的に諸堂塔を描く表現をとっている。興福寺をも建築描写によって表す他作例では、画面の方位を統一し実景に則ろうという意図をもって、上空から眺めたように表す大阪市立美術館本、根津美術館本といった作品がある。一方で本図は、方位の統一は行われず、興福寺の堂舎を正面から描き、あたかも浄土図のように表現していることが指摘される。なお奈良・興福寺所蔵品は本図とほぼ同図様で、同時代製作の作品である。
(北澤菜月)
おん祭と春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2006, p.67, no.50.














