春日社と興福寺(こうふくじ)の景観を一幅中に描く春日社寺曼荼羅(かすがしゃじまんだら)の一つだが、本図では、興福寺も春日社同様、俯瞰(ふかん)的に諸堂塔を表す形式をとる。興福寺をも建築描写によって表す作例には、画面上方を東として画中の方位を統一して表す大阪市立美術館本、東京・根津美術館本といった作品もあるが、本図は、安置される諸仏像群を描くことによって興福寺伽藍を表す春日社寺曼荼羅同様、興福寺伽藍(がらん)は上方を北として正面から捉え、上方を東とする春日社部分と組み合わせている。このような図様がほぼ一致する作品に奈良・興福寺本がある。本地仏(ほんじぶつ)は立像で、左に本社四神の本地仏、右に若宮の本地仏が、それぞれの殿社から立ち上る雲に乗って現れている。なお、虚空(こくう)には五つの円相を描いた下描の線が確認でき、本地仏を円相中の坐像(ざぞう)として表そうとしたものを中途で変更した形跡と見られ興味深い。
(北澤菜月)
おん祭と春日信仰の美術 特集威儀物 : 神前のかざり, 2014, p.65
奈良の東郊に位置する春日社と、その西に伽藍を構える興福寺とを、上下に組み合わせて、一体の関係にあることを示し、神仏習合が浸透していた中世の信仰の様相を端的に表している。興福寺部分を、伽藍ではなく諸堂舎の安置仏像で表す図が普通で、またその方が先に成立していたと思われ、本図のような形式は遺品が稀である。春日社は、一の鳥居からはじめ、奥の左手にある本社、右手の若宮など主要な社殿を写し、上部御蓋山と春日山を配し、山の端には金色の日輪が覗く。御蓋山の上には、左に釈迦如来・薬師如来・地蔵菩薩・十一面観音菩薩という、本社四神の本地仏、右に若宮の本地仏、文殊菩薩が、それぞれの神殿から立ち上る雲に乗って現れている。春日社と興福寺とを隔てる霞の部分で、上部は縦の軸が東西、下部は縦が南北と、方位が九十度ずれている。図全体に地理的正確さを求めず、社寺各々を明瞭に写すことを重視したためである。興福寺の伽藍は、中・東・西の三金堂をはじめ諸堂舎が精細に描かれ、堂内に仏像が見えるところもある。下端部の猿沢池や、小道・細流なども写され、総じて実感に富む表現である。
(中島博)
春日社と興福寺の景観を一幅中に描く春日社寺曼荼羅(かすがしゃじまんだら)のひとつだが、本図では興福寺境内(けいだい)も春日社同様俯瞰(ふかん)的に諸堂塔を描く表現をとっている。興福寺をも建築描写によって表す他作例では、画面の方位を統一し実景に則ろうという意図をもって、上空から眺めたように表す大阪市立美術館本、根津美術館本といった作品がある。一方で本図は、方位の統一は行われず、興福寺の堂舎を正面から描き、あたかも浄土図のように表現していることが指摘される。なお奈良・興福寺所蔵品は本図とほぼ同図様で、同時代製作の作品である。
(北澤菜月)
おん祭と春日信仰の美術. 奈良国立博物館, 2006, p.67, no.50.