中央の不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)の八本の手の持物や、周縁部に剣先形(けんさきがた)の装飾板を巡らす光背の特殊な形式、周囲に配される四天王(してんのう)の姿形や持物の特徴から、興福寺南円堂(こうふくじなんえんどう)安置の諸像を描いたものと考えられる。不空羂索観音がまとう条帛(じょうはく)は、端に鹿の頭部を表すなど鹿皮(ろくひ)として描かれており、鹿を乗り物とする春日大社(かすがたいしゃ)第一殿の祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)との同体を強調した表現だろう。貴族好みの優美な表現を色濃く残す平安末期から鎌倉初期の作とみられる本品は、興福寺南円堂本尊が春日神と結びつけて信仰されるようになる初期の作例として貴重である。
(谷口耕生)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.276, no.210.
蓮華座上に坐す不空羂索観音は、八本の手の持物、周縁部に唐草をあしらった剣先形の装飾板を巡らす特殊な光背の形式などが、霊験像として名高い奈良・興福寺南円堂の本尊像の姿を写したものであることを示す。周囲に配される四天王とともに、南円堂安置の諸像を描いた礼拝画像として現存最古の作例と見なされる。
(谷口耕生)
みほとけのかたち 仏像に会う. 奈良国立博物館, 2013.7, p.115, no.75.
画面中央に、三目八臂(さんもくはっぴ)の姿で蓮華座(れんげざ)上に坐(すわ)る不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)をひときわ大きく描き、その周りを取り囲むように四天王を配している。不空羂索観音の八本の手の持物や、周縁部に唐草(からくさ)をあしらった剣先形の装飾板を巡らす特殊な形式の光背(こうはい)などが、奈良・興福寺の南円堂(なんえんどう)に安置される不空羂索観音像と一致し、南円堂の姿を写すことを意図して製作されたものと考えられる。興福寺南円堂の不空羂索観音像は、日本歴史上長年にわたって権勢を誇った藤原氏によって篤(あつ)く信仰されたため、その姿を写した彫像や画像が数多く製作された。特に藤原氏の氏寺である興福寺と、同じく藤原氏の氏社である春日大社の一体化が図られた中世においては、神仏習合思想のもと、春日社一宮の祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)と南円堂の不空羂索観音を同体とみなす説が有力となった。武甕槌命が鹿を乗り物とし、不空羂索観音が鹿の皮をまとうことも、両者を同体視する根拠とされた。本図に描かれる不空羂索観音も、向かって左肩から右脇腹にかけて鹿皮の条帛(じょうはく)をまとっており、右脇腹付近に垂れる端の部分に鹿の顔を表すことで、鹿をシンボルとする春日神と同体であることを強調しているのだろう。本図は、貴族好みの優美な表現を色濃く残す平安時代から鎌倉時代にかかる時期の製作と考えられ、興福寺南円堂の不空羂索観音像が春日社一宮と結びつけられて信仰されはじめる時期の作例として極めて貴重である。
(谷口耕生)
西国三十三所 観音霊場の祈りと美, 2008, p.272

