『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の序分義(じょぶんぎ)、韋提希夫人(いだいけぶにん)の物語の一部を取り出して描いたもの。当麻曼荼羅向かって左の帯に描き込まれるこの物語は、息子に夫を幽閉され自分の命まで奪われかけた韋提希夫人が、釈迦に願って阿弥陀浄土の様子を目の当たりにし、阿弥陀の指導により、自らの力で阿弥陀浄土を観想する術を教わるというもの。描かれているのは、二人の弟子を連れて釈迦が韋提希の前に現れ(左下)、阿弥陀浄土にいる阿弥陀三尊(右上)を韋提希の目前に現出させる場面である。本品は図様が当麻曼荼羅向かって左の上から二つ目の区画に表されるのとまったく同じで、当麻曼荼羅から抜き出して描かれたものと考えられる。ただし、序分義の一場面を取り出して一幅の絵画に仕立てることは、中国・宋、朝鮮半島・高麗でも行われているのが認められ、こうした絵画が日本で描かれるようになった背景には、当麻曼荼羅信仰とともに請来画、さらにいえば宋代浄土教の影響が考えられる。
なお韋提希夫人が釈迦の力によって生きながらに阿弥陀浄土の様子を目にするというプロットが、中将姫が阿弥陀と観音の化身の力によって、生きながらにして阿弥陀浄土(当麻曼荼羅)を拝したという当麻曼荼羅縁起の物語と重なりあうことは言うまでもない。中将姫の物語は『観無量寿経』の主人公・韋提希夫人の物語と重ねられ語られたのである。
(北澤菜月)
當麻寺 極楽浄土へのあこがれ. 奈良国立博物館, 2013.4, p.308, no.111.
阿弥陀浄土の観想を説く『観無量寿経』は、当麻曼荼羅などの浄土変相図をはじめ、あまたの浄土教美術を生み出す母胎となった。その序に当たる序分義は、阿闍世太子の父王幽閉と、これを悲しんだ母后韋提希(いだいけ)夫人の阿弥陀仏への帰依、および『観無量寿経』が釈迦霊鷲山説法中に説かれたことを述べるものである。本図はこの序分義のうち、欣浄縁の図相のみを抜き出し、観経曼荼羅の集約図としたものである。欣浄縁とは、救いを求めた韋提希のために釈尊が阿難・目連の二弟子を従えて王宮に現れ、十方国土中より阿弥陀仏国土のみを虚空に現し(定善示観)、釈迦は阿難に対し、この阿弥陀浄土が韋提希のためだけでなく、来世の凡夫に広く開示すべきことを告げた(散善顕行)というものである。本図では、図の下方に散善顕行を象徴する釈迦と阿難の対話の場面を描き、釈迦の傍らには序分義の主人公たる韋提希夫人を配す。その上方には、阿弥陀三尊が光台に坐す姿を描いて定善示観を象徴し、これによって観経曼荼羅の内容を集約させている。さらに阿弥陀三尊を乗雲の来迎相とし、下方の釈迦と対角線上に対峙させることで、善導の『観無量寿経疏』に説く二河白道の譬喩に関係の深い遣迎二尊の思想をも満たしている。
(谷口耕生)
女性と仏教 いのりとほほえみ, 2003, p.234

