銛(もり)を思わせる鋭利な鈷を有する三鈷杵で、この種の作品は「古式三鈷杵」、「忿怒形三鈷杵」などとも称する。把は紡錘形の六角柱状で、中央に三条一組の紐帯を巡らしている。中鈷、脇鈷とも根元に一段太く蕚(がく)状の段を作っている。段は把と一体となっており、中鈷の基部は断面が扁平な六角形、脇鈷では四角形を呈し、端には強い反りを作っている。中鈷は鏃(やじり)状で、先端、逆刺(さかし)ともきわめて鋭利に作られている。脇鈷は外側に刃を付け、同様に先端と逆刺を鋭利に表している。中鈷一本、脇鈷二本を根元から欠失しているのが惜しまれるが、武器を見るような迫真性は十分に留めている。密教法具が古代インドの武器より発生したとする説が納得できる造形である。類例には正倉院宝物中の鉄三鈷杵、白銅三鈷杵、日光二荒山神社蔵品、福島・恵日寺蔵品など唐あるいは奈良時代の作例を挙げることが出来る。本品をそれらと比較すると、正倉院宝物の白銅三鈷杵や円福寺所蔵の重文・銅三鈷鐃の脇鈷に見える三日月形は、本品の脇鈷のような片側の逆刺を有する刃が形式化したものである。このように、本品は強く古様を留めており、奈良時代の密教法具の中でも最も初期の作例に属すると考えられよう。
(内藤栄)
古密教―日本密教の胎動―, 2005, p.177
日本に密教(純密)がもたらされたのは平安初期に渡唐した空海らによるが、すでに奈良時代の仏教に密教の影響は部分的に見ることができ、この時代の密教は純密に対し雑密(ぞうみつ)と呼ばれる。本品はいわゆる古式三鈷杵のひとつで、雑密時代の遺品。空海以後の金剛杵とは異なり、銛のような鋭利さをそなえており、その点、古代インドの武器に起源を有する金剛杵のオリジナルな姿を伝えている。把(つか)は中心より外側が細く、断面は扁平な六角形を呈し、中央に三線一組の紐帯を巻く。三鈷のうち中鈷は把の基部よりいったん外に開く萼状の突起をつくり、さらに逆刺(さかし)のある三角形の鋒をつけ、刃面を面取りして鋭利さを加える。脇鈷も基部にやや太く整えた一段を設け、刃面に面取りをほどこした三日月形の鋒をつける。類例には正倉院宝物の鉄三鈷杵と白銅三鈷杵、福島・恵日寺(えにちじ)の銅三鈷杵、日光・男体山出土の銅三鈷杵などがあるが、本品は正倉院鉄三鈷杵にもっとも近く、恵日寺や男体山の作品よりも先行する要素を残している。
(内藤栄)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.289, no.53.