昭和四十年(一九六五)に出雲の古墓から発見された品。大甕の中に遺骨と青磁の椀・皿を納めて板石で蓋をしていたという。青磁碗は身の外面に二五葉の鎬蓮弁(しのぎれんべん)(花弁の中央に稜線が立つ蓮弁)を表わし、うるおい豊かな翠青(すいせい)色の釉(うわぐすり)を施す。皿は浅く大きく開き、内面に細かな蓮弁を刻み、碗と同じ青磁釉を厚く施している。いずれも中国・龍泉窯(りゅうせんよう)の産とされ、形姿、釉調共に優れた完形品で、日本出土の中国陶磁の中でも白眉とされる。大甕は愛知県の常滑窯(とこなめよう)で焼成されたもので、肩を張り、屈曲の少ない口縁は十三世紀代の産とみられる。
(吉澤悟)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.281, no.246.
古い時代のお墓、とりわけ身分の高い人のお墓には、その時代のお宝が副葬されていることが多い。現代においても文字通りの「宝庫」であるが、こと焼物に関しては、完全な形を留める優品の大半はお墓を出所としていると考えてよい。本品はまさにそうした優品の一例である。
昭和40年(1965)、出雲平野を流れる斐伊川左岸が開墾された際に、小さな微高地が掘削された。地表には宝篋印塔(ほうきょういんとう)の残がいが散り、地下には常滑(とこなめ)の大甕が埋設されていたことから、そこは鎌倉時代のお墓であったことは間違いない。甕の中から発見されたのは、若干の人骨とこの青磁の碗・皿3口だけだったので、墓の主はさぞかしこの器に愛着をもっていたと思われる。
碗は、外面に25葉の鎬蓮弁(しのぎれんべん)を表した端整な作りで、爽やかな翡翠(ひすい)色の青磁釉(せいじゆう)がむらなくかかる。高台の地付部分のみ、釉を掻き取り露胎(ろたい)としている。この肌の赤褐色が、夢心地に広がる翡翠色の緑をきりりと引き締めている。中国・南宋時代の龍泉窯(りゅうせんよう)の産とみて間違いなく、日本国内の伝存品でも指折りの名品である。色も形も素晴らしく、手にとって鑑賞してもらえないのが口惜しい。皿は碗と同質だが、鎬は内面に設けられており、見込みに草花文の陰刻がなされている。
鎌倉時代の出雲でこれだけの逸品を所有できた人は、いったい誰であろうか。そして入手ルートは?具体的な名前は私たちにも挙げられない。しかし、愛蔵品の質の高さをみるかぎり、舶来品に「目がない」人、しっかりした審美の「眼がある」人、であったのは間違いない。
(吉澤悟)
奈良国立博物館だより第81号. 奈良国立博物館, 2012.4, p.8.
昭和40年(1965)に出雲平野を流れる斐伊川左岸の微高地から発見されたものである。方形の墓壙内に陶製の大甕を据え、内部に遺骨と青磁の椀、皿を納め、板状石で蓋をし、その上に礫を敷いて塔婆が建てられていたという。青磁碗は2口とも深みのある端正な作りを示し、外面に25葉の鎬蓮弁(しのぎれんべん)を表わす。厚くむらのない施釉で翠青色を呈す。皿は口縁が大きく開く浅い器形をなし、素地はやはり灰白色の磁質で青磁釉を厚くかける。内面に細かい花弁様の鎬(しのぎ)を施し、内底中央に印影の草花文を飾る。いずれも形姿、釉調に優れた完形品で、13世紀の中国南宋時代の龍泉(りゅうせん)窯で焼成されたものと考えられ、日本出土の中国陶磁の中でも極上の遺品である。なお、陶製の甕は肩の張った短頸の大型品で、愛知県の常滑(とこなめ)古窯で焼成された13世紀の鎌倉時代の遺品である。
(井口喜晴)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.282, no.20.

