延久四年十一月に、弘福寺(川原寺)が大和国司(こくし)に提出した牒(公文書の一様式)で、寺の田畑にかかる税の免除を求める内容。田畑は、高市郡(たけちぐん)にある寺辺所領のほか、大和国内の五箇所にあり、総面積は九十二町以上に及んだ。墨書による地の文の合間には、国司の側で内容をチェックした際の夥しい数の朱書が入れられている。巻末には、弘福寺の申請を認める大和国司の判(はん)が加えられ、その字面に朱印「大和国印」が捺されている。また、同朱印は本文の紙継ぎ目にも一顆(か)ずつ斜めに捺される。十一世紀の地方行政の実態を示す史料として貴重である。
(野尻忠)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, pp.248-249, no.39.
延久4年(1072)に、弘福寺が先例に従って大和国内における寺家所領の田畠に対する不輸の免判を国司に求めた牒(公文書)。
本文は95行から成り、高市郡の寺辺地をはじめとする寺領九十二町二段三百二十一歩を書き上げ、末には検行阿闍梨以下3人の署名がある。
巻尾には、弘福寺の申請通りに寺田であることを認めた大和国守の国判が15行にわたって加えられ、「大和国印」が紙の継目と国判の文字の部分に計20顆捺されている。
弘福寺は川原寺とも称し、飛鳥・白鳳期には大寺のひとつであった。9世紀には東寺の末寺になるが、この文書は11世紀における弘福寺の所領に関する根本史料であり、延久の庄園整理令当時の弘福寺領の規模と国司免判のあり方を伝えて価値が高い。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.306, no.131.

