後宇多(ごうだ)天皇(一二六七〜一三二四、在位一二七四〜八七)が自ら書写した経巻。天皇は仏教を篤(あつ)く信仰しており、出家後は大覚寺(だいがくじ)を拠点として密教の研究に励んだ。『金光明最勝王経』は八巻からなり、奈良時代以来、護国経典として重んじられてきた。本品とセットになる巻第一が北野天満宮(きたのてんまんぐう)に所蔵され、その奥書によれば、後宇多は国家鎮護(こっかちんご)のため、『金光明最勝王経』を書写し諸国に安置すると記している。紫紙金字という形式からも、奈良時代に聖武(しょうむ)天皇の命によって全国の国分寺に安置された国分寺(こくぶんじ)経を踏襲したのであろう。
(斎木涼子)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.252, no.60.
後宇多天皇(1267~1324、1274~87在位)は深く仏教に帰依し、徳治2年(1307)に出家した後は大覚寺に住み、政務のかたわら密教の研究に精励された。
この紫紙金字の金光明最勝王経は、伏見天皇へ譲位して7年後の永仁2年(1294)11月15日、上皇みずから斎戒書写したもので、聖武天皇の国分寺経の先例にならって諸国に班置し、鎮護国家・万民撫育を祈ったものである。後宇多上皇はこのときまだ28歳であった。
体裁は紫紙に金泥で界線が施され、金泥で1紙26行に謹厳な書風で書写されている。本巻は巻第二の残巻で、巻首100行分。京都の北野神社に、宝永7年(1710)に奉納された巻第一(重要文化財)が所蔵されている。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.304, no.120.

