千手観音は観音菩薩の変化身のひとつ。本図は上部に花型の天蓋、観音背後に舟形の光背、足元には七重蓮台と、美しい荘厳が完備され、画中の観音は比較的小さい。天蓋の草花は白でくくられ、瓔珞は金の切箔、光背では赤色地の帯に金切箔を連ね、外側は銀の切箔で唐草文様を形づくる。また蓮台や観音の衣には具色を多用する。花型の天蓋は十一面観音像(奈良国立博物館)、銀切箔の光背は、普賢延命像(松尾寺)等と共通し、具色の使用と合わせて十二世紀の表現といえるが、本図には截金による文様表現は見当たらない。光背のような円形内には、儀軌に従った持物を持つ四十二の正大手と、間際に多数の小手を表す。但し持物のうち武器の類は省略されている。平安後期の仏画では異様さを抑えるため、武具を小さく描く傾向が認められるが、その進んだ形と捉えられる。また腹前の椀は金属器ではなく、日常什器であった漆塗の椀として描く。総じて異形のほとけを、親しみやすい存在に表そうという意識のある作品で、大掛かりな修法の本尊画像類とは別の趣を示す。もともと木造の菩薩立像胎内に収められていた経緯もあわせて比較的、私的な礼拝の対象とされた画像であったかと想像される。
(北澤菜月)
美麗 院政期の絵画, 2007, p.215
千手観音は変化観音(へんげかんのん)の一つで、詳しくは千手千眼観自在菩薩といい、慈悲の広大さを千の手と千の目で表す。本図は、木彫仏の像内に本格的な仏画が納入された珍しい例として有名な作品である。一緒に伝わっている木像も、一部が欠損しながらもとは十一面観音であったと推定され、平安時代末期の作とみなされるが、画像はそれより少し遡る時期のものかと思われる。比較的小品であるが、像はもとより台座と天蓋の荘厳も備わり、堂堂とした風格を示している。彩色は赤と緑の対比を基調としており、金銀箔を混えた諸色を細やかに配しつつあまり巧緻には走らぬ大らかさがある。多数の手はまるで光背の一部をなす様にきれいな円形でまとめられて、像容の異様さを抑えている。経軌に従った各種の持物のうち、武器類の大半は、下描であたりをつけながら、彩色段階では恐らく意識して省略し、また腹前の鉢を漆塗の什器風に表すなどの要素も、個人的に親しく礼拝するのにふさわしいであろうと思われる作風を形成している。
(中島博)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, pp.310-311, no.149.