薄手の楮紙(ちょし)を十四紙継ぎ、淡墨で界高二〇・七、界幅約一・七センチメートルの界線を引いて経文を墨書したもの。一紙あたり三十一行を書写する。巻頭と巻末、それに紙継目(つぎめ)の紙背(しはい)(四箇所)に「法隆寺一切経」の墨印が捺されるころから、本品が法隆寺に伝来した一切経の一巻であったことがわかる。法隆寺では、承徳(じょうとく)年間(一〇九七~九九)に『大般若経』の書写がおこなわれ、これを契機に一切経の書写が進められた。永久(えいきゅう)二年(一一一四)から元永(げんえい)元年(一一一八)には、僧勝賢(しょうけん)を勧進聖人(かんじんしょうにん)として書写がおこなわれ、二千七百巻までを完成させる。次いで保安(ほうあん)三年(一一二二)から大治(だいじ)六年(一一三一)には、僧林幸(りんこう)が勧進となって書写事業を推し進めた。最終的に完成した経典の総巻数はわからないが、途中段階では総数七千百巻が目指されていたらしく、大きく分けて三時期にわたった書写事業は、相当な規模のものであったことが知られる。現存するのは法隆寺に残る約一千巻と、巷間(こうかん)に出ている四百巻ほど(断簡を含む)となっている。さて本品の巻末には、永久三年(一一一五)に僧林幸が筆を執ってこれを書写したとの奥書がある。永久三年は時期としては勝賢が勧進を務めていた第二期だが、すでに第三期に中心となる林幸が、この頃から事業に参画していたことがこの奥書からわかる。
(野尻忠)
まぼろしの久能字経に出会う 平安古経展, 2015, p.138
永久3年(1115)に僧林幸によって書写された、いわゆる法隆寺一切経の内の1巻。法隆寺一切経は、承徳3年(1099)前後、永久2年(1114)から元永元年(1118)、保安3年(1122)以降の三期にわたって勧進書写されたもので、僧林幸の保安3年の「一切経勧進状」によって、写経の目的・経緯・内容を知ることができる。これによれば、第二期は僧勝賢の勧進によるもので、5年間に2700余巻が書写された。本巻はその内の1巻に当たり、第三期の中心人物である林幸が、すでに第二期に筆師として活躍していたことを示す貴重な遺品である。巻首・巻尾・継目の紙背(四ヵ所)に「法隆寺/一切経」の黒方印が捺されている。
法隆寺一切経は、現在法隆寺に890巻所蔵されており、重要文化財に指定されている。『大威徳陀羅尼経』は、全20巻のうち巻第七・十三・十四・十八・十九の5巻がその中に含まれている。
(西山厚)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.302, no.113.