霊安寺は、現在の奈良県五條市に所在した古代寺院。本品は昭和三十八年(一九六三)に塔の心礎(しんそ)周辺から発見されたもの。銅鏡四面と銅鋺二口の他、中国・唐の貨幣である開元通宝(かいげんつうほう)一枚、奈良時代の万年通宝(まんねんつうほう)一枚、平安時代初期の隆平永宝(りゅうへいえいほう)十一枚からなり、鎮壇具(ちんだんぐ)と考えられる。銅鏡は伯牙弾琴鏡(はくがだんきんきょう)、瑞花双鳳八稜鏡(ずいかそうほうはちりょうきょう)、瑞雲双鸞八花鏡(ずいうんそうらんはちかきょう)(二面)で、いずれも中国・唐時代の鏡を原型に日本で鋳造したものである。銅鋺は、各々底部や口縁の形状が異なるが、いずれも器壁を非常に薄く仕上げる。霊安寺塔の年代については、隆平永宝の存在に加え、『日本後紀(にほんこうき)』延暦二十四年(八〇五)二月条に霊安寺の名が見られることから、平安時代初期の建立と推測される。
(中川あや)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.245, no.17.
霊安寺塔跡は、吉野川に注ぐ丹生(にゆう)川の右岸の河岸段丘上に位置する。出土遺物は昭和三十八年(一九六三)に塔心礎(しんそ)を中心にその周辺から発見され、翌昭和三十九年に調査されたもので、元興寺鎮壇具などと同じ性格の鎮壇具の一種とみられる。塔跡の基壇は一辺の長さ約一〇.二五メートル、高さ約〇.七メートルで、初層の柱間は約五.二五メートル、中央の間約二.〇五メートル、脇間約一.六メートルと推定され、三重塔であった可能性が高い。建物は、古銭では中国銭の開元通宝(かいげんつうほう)一枚、奈良時代の万年通宝(まんねんつうほう)一枚と平安初期の隆平永宝(りゅうへいえいほう)十一枚があり、他に唐式鏡四面と銅鋺二口が出土している。唐式鏡には伯牙弾琴鏡(はくがだんきんきょう)一面と瑞花双鳳八稜鏡(ずいかそうほうはちりょうきょう)一面、瑞雲双鸞八花鏡(ずいうんそうらんはっかきょう)二面があり、いずれも中国鏡を原型に日本で鋳造したものとみられる。銅鋺は二口とも非常に薄く仕上げられ、一口は丸底で、他の一口は高台を有する。霊安寺塔跡の年代は出土した隆平永宝が延暦十五年(七九六)に鋳造されて流通し始めたこと、また『日本後紀』延暦二四年(八〇五)二月の条に霊安寺の名が見られることから、塔については平安時代初期の延暦十五年から二十四年の間に建立されたものと考えられる。
(井口喜晴)
発掘された古代の在銘遺宝, 1989, p.70

