吉野の奥地、弥山(みせん)山頂(標高一八九五メートル)から出土した密教法具。鈷(こ)の先端は逆刺(さかし)が付いたやじり形で、古式の「忿怒形(ふんぬがた)三鈷杵」と同類である。華奢な作りながら全面に鍍金を施す。
題箋
弥山(みせん)は大峯山脈のほぼ中央、標高一八九五メートルの高山である。この山の南には、役行者が法華経八巻を石鉢に入れて奉納したとされる八経ヶ岡(近畿最高峰、標高一九一四メートル)が聳えている。弥山の名は宇宙の中心にある「須弥山(しゅみせん)」に因むといわれ、山頂には天河神社(てんかわじんじゃ)(天川弁財天)奥院が祀られている。昭和三十九年(一九六四)の台風による倒木で、この社の裏手から鉄斧や火打鎌、刀剣断片などの鉄製品、および銅三鈷杵、銅華鬘など、古代から近世までの遺物が出土した。本品は鋳銅製で、全面鍍金の痕跡がみられる。把(つか)は丸い棒状で、中太りせず、中央および両端に各二条の突帯を巡らせている。鈷との接合部には三角形の座金を表現するだけで、後世の三鈷杵に一般的な蓮弁飾はなく、簡潔に徹している。鈷は断面を菱形に作り、中鈷の先端は逆刺(さかし)のついた小柄な銛ないし鏃(やじり)状を呈する。脇鈷はいずれも先端を欠損しているが、湾曲部外面に逆刺が付いていた痕跡がある。簡潔かつ鋭利な作りは武器の面影をとどめた古式の三鈷杵、いわゆる「忿怒(ふんぬ)形三鈷杵」そのものであり、正倉院南倉の鉄三鈷杵や男体山山頂出土の銅三鈷杵に並ぶ貴重な遺品に数えられる。本品はこれまで平安時代のものとされてきたが、そこに明確な根拠があるわけではなく、むしろ奈良時代にまで遡るとみるべきであろう。把に突帯を付ける点は最古式とされる正倉院南倉の鉄三鈷杵と共通しており、これを刻線で簡略化している正倉院白銅三鈷杵や男体山山頂出土品よりも古式に則っている。鈷の断面が菱形であることも、扁平な男体山山頂出土品より古式に忠実である。全体に小柄で迫力には乏しいものの、杷が丸棒であることや、中鈷の先端が鏃のように小さいことなどは、稚拙や後出ゆえでなく、むしろ武器を意識した古拙な作りと受け取れよう。なお、弥山山頂を南に下った池の谷水場からは、八世紀後半から九世紀前半の須恵器が採取されている。大峰山山頂出土品と併せて、吉野における仏教儀礼の始まりを知る貴重な資料である。
(吉澤悟)
古密教―日本密教の胎動―, 2005, p.183

