右手に剣、左手に索(さく)をとって高い岩座上に右足を踏み下げて坐(ざ)す不動明王(ふどうみょうおう)と、八大童子(はちだいどうじ)を描く。背後には迦楼羅(かるら)をかたどる火焰(かえん)が燃え盛る。不動明王は元興寺(がんごうじ)の絵仏師(えぶっし)・玄朝(げんちょう)が創案し流行した図像に依っており、巻毛で頭上に七莎髻(しちしゃけい)(七つに束ねた花形の髻(もとどり))を結い、左目を細め、上下の牙で唇を噛み合う。矜羯羅(こんがら)、制吒迦(せいたか)の二童子は通例の姿で、他の六童子は当館蔵『不動儀軌』所収の図像との共通点が多い。本図のように八大童子を描く画像は希少である。
金彩を用いず文様も少ない簡素で力強い画面に特徴がある。高野山(こうやさん)宝性院から釈迦文院に伝来した。
(萩谷みどり)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.259, no.105.
不動は十九観に基づく最も普通の像であるが、高い岩座上に右脚を踏み下ろして坐る点は異例である。大きく広がる火炎光は、三羽の迦楼羅(かるら)に形作られており、火炎の写実性との調和が巧みである。八大童子は、向かって右上から恵喜童子(えきどうじ)・矜羯羅童子・恵光童子(えこうどうじ)・阿耨達菩薩(あのくたぼさつ)、左上から指徳菩薩(しとくぼさつ)・制咤迦童子・烏倶婆誐童子(うぐばがどうじ)で、像容は菩薩形・天部形・忿怒形・比丘形・童子形と変化に富む。『聖無動尊一字出生八大童子秘要法品』に説かれる形像とは異なり、矜羯羅・制咤迦の二童子はおおむね一般的な像といってよく、他の六童子は「不動儀軌」等の図像に載る、典拠不明の像と大体共通し、細部に『秘要法品』による修正が加えられている。不動の岩座の両脇に八大童子を相称に配し、不動とも全体を火炎で包んで、整然たる構成である。表現は、最初から決定的に引かれたなめらかな描線を生かして、比較的淡目の彩色で仕上げる点に特色があり、文様は不動の着衣のごく一部に施すのみであり、金箔・金泥とも全く用いず、装身具や持物などの普通金色に彩る部分に、墨線の内側に沿って白線を引く手法は特異である。なお、本図の裏面全体に丹の裏彩色があるかに見受けられるとかつて言及されたことがあるけれども、近年の修復時に、それは過去の修復の際に裏打紙に塗られたものであったと判明している。表装背面および箱の墨書により、もと高野山宝性院から釈迦文院に伝来したことがわかる。
(中島博)
明王展―怒りと慈しみの仏―, 2000, p.171
不動明王は仏道の妨げになるものを撃破する威力をもち、大日如来の命を受けて活動することから不動使者とも称されるが、そのまた使者となるのが、矜羯羅(こんがら)・制咤迦(せいたか)の二童子をはじめとする八大童子である。本図の不動は、平安時代に飛鳥寺(あすかでら)の玄朝(げんちょう)によって成立したと考えられ、その後流行した形式に従って表している。八大童子は、複数の系統から抽出した像にそれぞれ若干の修正を加えて、新たに作り上げた一組と思われる。それら両要素を組み合わせた構図も独自のものであろう。不動の火焔光背が、霊鳥の迦楼羅(かるら)三羽に形作られる巧みな意匠になっているほか、八大童子を含めた全体を火焔で包む様に工夫されており、一切の魔障を焼き尽くすという不動の性格が強調される。なお、童子を包む火焔の一部には下描がなく、彩色時に表現意図に添って付加されたとみなされるのは、図の創造性を示す一点である。像の描写には的確な運筆の墨線を主体とし、彩色はそれに従うべく文様や金銀をほとんど用いず比較的簡素に仕上げるという配慮があり、特色ある画面となっている。
(中島博)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.312, no.156.




