文殊菩薩は、普賢(ふげん)菩薩と共に釈迦如来(しゃかにょらい)の脇侍(きょうじ)とされるほか、単独にも広く信仰されている。この図では、文殊の乗物である獅子(しし)の背上の蓮華座(れんげざ)に坐り、右手に剣、左手に経典を載せた蓮華を執り、頭には五つの髻(もとどり)を結んでいる。密教における文殊の髻の数が一・五・六・七の四通りあるうちの一つで、最も普通に行われた形である。本来は数によって祈りの目的が異なり、五髻像は息災を祈るものであるが、この図は特殊な意味を持っている。図中に墨書があり、上部のは文殊を表す梵字と文殊を讃える語であるが、左下には「建武元年六月九日相当悲母聖霊第三七日奉図之」とあり、その右の二字は、後醍醐天皇の信任を得たことで知られる文観房弘真(もんかんぼうこうしん)(一二七八~一三五七)を示す。すなわち、建武元年に弘真が亡母の三七日(みなぬか)にあたり冥福を祈って作った図であるとわかる。弘真は若年時から文殊と観音への信仰が篤く、文観という房号はそこから来ているが、特に文殊については、日課として像を墨描きしたものも遺っている。そのようなわけでここでも文殊に祈っているのであり、このほかに五七日の際の八髻文殊像も他所に伝わっている。忌日毎に丁重に祈りが捧げられたのであろう。高名な僧の、母への私的な思いが籠められた画像として、味わい深い作品である。
(中島博)
平成十二年度国立博物館・美術館巡回展 信仰と美術, 2000, p.14
文殊は、智慧を司る菩薩として信仰を厚くされ、釈迦の脇侍となるほか単独にも盛んに祀られた。密教では通常、智慧の清純で執着のないことを示す童子形に表し、一・五・六・八字と四種ある真言(しんごん)のそれぞれに応じて頭にその数の髻(もとどり)を結う像があるが、中ではこの図の様な、息災を本誓とする五髻文殊が最も普通に行われている。右手に智慧を象徴する剣、左手に梵夾(ぼんきょう)を載せた蓮華を執り、獅子に乗る姿は馴染深い。画中に記された銘文によれば、これは文殊持者として知られる、後醍醐天皇の信任を得た真言僧の文観房弘真(もんかんぼうこうしん)(1278~1357)が、亡母の三七日にあたる建武元年6月9日に供養のため製作したものである。着衣に施された、金泥線描による絵画的文様や、獅子の描写に用いられた太く力強い墨線に時代の風をみることができる。なお、これに続く五七日の際に作られた、善財童子と八大童子を伴う八字文殊像も他所に伝わっているが、濃厚な彩色になる作風はこれとかなり異なっている。
(中島博)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, pp.311-312, no.153.