画面向かって左上に「南山澄照法菩薩」の墨書があり、中国唐代の律宗の祖師・南山大師道宣(なんざんだいしどうせん)(五九六〜六六七)の像と知られる。墨染めの法衣を着け、払子(ほっす)をとり、法被(はっぴ)(布)を掛けた曲彔(きょくろく)(椅子)に坐る図様は、京都・泉涌寺(せんにゅうじ)の開山・俊芿(しゅんじょう) (一一六六〜一二二七)が南宋よりもたらした嘉定三年(一二一〇)成立の泉涌寺本をおおむね踏襲する。同図様の道宣像は奈良や鎌倉地方の律宗寺院を中心に写し継がれたが、本品もそうした一本とみられ、肉身部の丁寧な彩色や精緻な毛描きによって像主の容貌を生彩豊かに描き出す優品である。森村家旧蔵。
(谷口耕生)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.272, no.187.
中国・初唐期の僧、南山大師道宣(596~667)の肖像。道宣は『四分律行事鈔』を撰述するなどして律学を大成し、南山律の祖となった。玄奘の訳経にも参加したほか、仏教経典の目録である『大唐内典録』や、仏教史書『続高僧伝』『釈迦方志』、護法のために記された文書を収集した『広弘明集』など多数の書物の撰述をも果たし、偉大な事績を残している。日本には奈良時代に鑑真がその教え(四分律)を伝えたが、鎌倉時代に至って京都や奈良で律学の復興が図られ、その機運にあわせて祖師の肖像画も多く描かれた。
本図は黒い袈裟をまとい、法被をかけた高い曲彔(きょくろく)に坐して、両手で払子をとる斜め向きの道宣の姿を描いている。この姿は鎌倉時代に中国で律学を学び帰国した泉涌寺の俊芿(しゅんじょう)が将来した、南宋・嘉定3年(1210)製作の道宣律師・元照律師像(二幅対、泉涌寺所蔵、重文)のうち道宣律師像の図像を継承している。 頭の形やつりあがった目などの独特の顔つきも、写実味のある泉涌寺本に比較すると形式化されながらも丁寧に描かれ、踏襲される。宋代にもたらされた図像が日本国内で原本として重視され、流布したことを伝えている。なお、墨書にみえる澄照とは唐の懿宗による謚号である。森村家伝来。
(北澤菜月)




































