左手に羂索(けんさく)を提(さ)げ、右手に剣を握る(いずれも亡失)。頭上に蓮華(れんげ)をいただいて頭髪は巻髪(けんぱつ)とし、閉口して左牙を下向き、右牙を上向きに出す。若干ではあるが、左眼は細めて下方に、右眼は上方に視線を向ける。これらの特徴は、平安時代初期の台密僧安然(あんねん)が説いた不動十九観様(ふどうじゅうきゅうかんよう)にもとづくもの。像の背面に陰刻があり、文永六年の年紀、願主僧と思しき寛祐(かんゆう)と門賢(もんけん)の名がみえる。両肩以下を別鋳(べっちゅう)し、蟻枘留(ありほぞど)めによって体部とつなぐのは、鎌倉時代の金銅仏に通例の技法である。忿怒相(ふんぬそう)は誇張が少なく、体部はゆるやかな肉取りで形成され、総じて堅実な作風が認められる。
(内藤航)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2022, p.151, no.207.
台密の不動(ふどう)十九観(じゅうきゅうかん)に基づく不動明王像。像背面に陰刻があり、文永六年の年紀、願主僧と思しき寛祐(かんゆう)・門賢(もんけん)の名が見える。両肩以下を別鋳し、蟻枘(ありほぞ)留(ど)めによって体部と繋ぐのは、鎌倉時代の金銅仏に通例の技法。
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この像では、髪の毛が細かく渦巻く「巻髪(けんぱつ)」という髪型となる。左目をやや細め右目を見開き、にらみを利かせる形相が、不動明王の忿怒尊(ふんぬそん)としての性格をあらわす。なお、不動明王の中には、巻髪ではなく「総髪(そうはつ)」という直毛のものもある。
(岩井共二)
みほとけのかたち 仏像に会う. 奈良国立博物館, 2013.7, p.27, no.10.
持物を失うが、左手には羂索(けんさく)を提げ、右手には剣を握っていた。頭髪は巻毛(けんぱつ)とし、右牙を上向き、左牙を下向きに出す。本像ではあまり顕著ではないが、左眼は眇(すが)めて下方に、右目は上方に視線を向けるかと思われ、平安時代初期(9世紀)の台密(たいみつ)僧安然(あんねん)の説いたいわゆる不動十九観様(ふどうじゅうきゅうかんよう)に基づく姿。像背に銘が刻まれ、文永6年(1269)4月16日の年紀のほか、寛祐・門賢の二僧の名が認められるが、二人については不詳。両肩以下の腕を別鋳して蟻枘留(ありほぞど)めする手法は鎌倉時代の金銅仏(こんどうぶつ)の通例である。
(岩田茂樹)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.121, no.162.
背面腰下に「文永六年四月十六日/寛祐 門賢」の刻銘があり、鎌倉時代の基準作例として貴重である。頭頂から足枘(ほぞ)までを前後の合せ型を用いて一鋳で作り出したムクの像で、これに別鋳の両腕を肩でアリ枘でとめている。中空とした岩座は当初のものである。光背は失われるが、後頭部と背中に光背を固定するための突起がある。頭髪を巻髪(けんぱつ)(頭頂は摩滅して形式を判じがたい)としてねじれた弁髪を垂らし、額にしわを刻み、目は天地眼(てんちがん)で牙を上下に出す。ほぼ正面を向き、右手を曲げて腰の辺りにおき、左手を胸前にあげて剣と羂索(けんさく)をとる勢を示し(持物は失われる)、腰をわずかに右にひねって岩座上に立つ。上半身には条帛(じょうはく)をたすき掛けにし、下半身には裳(も)を着用して腰布を巻いている。典型的な不動十九観様の図像をもつ像で、鎌倉彫刻らしい現実的な造形感覚が顕著だが、年代的に先行する天ヶ瀬組像と比較すると、同像が巻貝を貼り付けたようなとげとげしい巻髪(けんばつ)、凄まじい怒りを露わにした相好、ダイナミックな衣褶表現など、不動の異相を際だたせる表現がみられるのに対し、本像の表面のタッチは柔らかみのあるものに変じ、面部の造作もやや小作りになるなど、より穏やかな気分が支配的になっている。全体にスが目立ち、鋳上がりはあまりよいとはいえないが、均衡のとれたプロポーションや、身体各部の分節感を巧みにとらえた肉取りなどが賞される佳品である。
(稲本泰生)
明王展―怒りと慈しみの仏―, 2000, p.167