藤原清衡(ふじわらのきよひら)の発願(ほつがん)により、永久五年(一一一七)から数年かけて書写された、いわゆる「中尊寺経」。見返しに金銀泥(きんぎんでい)を用いて釈迦説法図(しゃかせっぽうず)を描き、経文も金銀泥で一行ごと交互に書写する。
題箋
奥州藤原氏の初代である藤原清衡(ふじわらのきよひら)(一〇五六~一一二八)が発願し、天治三年(一一二六)創建の中尊寺に奉納した紺紙金銀交書の一切経、いわゆる中尊寺経と呼ばれるうちの一巻である。平安時代後期には紺紙金字経が盛んに制作されたが、本例のように金字と銀字を混ぜた金銀交書(きんぎんきょうしょ)で、かつ教義を書いた「経」、仏教徒の守るべき規則を書いた「律」と経典の解釈を書いた「論」のセットからなるおよそ五千四百巻の一切経を制作した例は東アジア全体を見ても唯一である。表紙には金泥・銀泥で宝相華唐草文(ほうそうげからくさもん)を表わし、経典部分は、紺紙に銀泥で界線をひき、一行ごとに金泥と銀泥で交互に文字を書写しており、奥州藤原氏の栄華を伝える贅(ぜい)を凝(こ)らした経典である。一般的な紺紙金字経の場合、経文の冒頭に描かれる見返し部分には釈迦が説法する場面や経典の内容に関連した場面を描き表わす。本例の場合は、紺紙に金銀泥で釈迦説法図を描いている。中央に釈迦三尊、その周囲に供養者を配し、その背後に羅網(らもう)で飾られた樹木と重層の入母屋造の仏堂三棟を表わす。建物は一部しか観察できないが、入母屋造で鴟尾を飾り、棟端には○に×印で鬼瓦を表す。軒丸瓦や垂木端は点で表わすなど簡略化した表現は否めないが、降棟(くだりむね)の二の鬼まで表現するなど建築表現の主たる要素は省略することなく、簡潔に表現している。
(岩戸晶子)
建築を表現する―弥生時代から平安時代まで―, 2008, p.35

