奥行の浅い厨子で、上部に吊り金具を付け、正面に観音開き扉を開けている。内部に取り外し可能の板を嵌(は)め、その表側に円い鏡板を取り付けている。鏡板の中央に円孔を作り、阿字と舎利を納め、水晶板で蓋をしている。板の裏面は金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)を彩絵し、板を取り外すと奥壁に描かれた胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)が現れる仕組みとなっている。扉の内側には不動明王二童子像(ふどうみょうおうにどうじぞう)と降三世明王(ごうさんぜみょうおう)が描かれている。かつての調査で鏡板の下より至徳四年(一三八七)に舎利の数を数えたことを記した紙片が発見され、これが厨子の制作年代と推定されてきた。しかし、この紙片は舎利を数えたことを記すだけで、それを以て制作年代と考えることはできない。むしろ、西大寺(さいだいじ)(奈良)の大神宮御正体厨子(だいじんぐうみしょうたいずし)(鎌倉時代、十三世紀)との近似性から、本品の製作は鎌倉時代とすべきであろう。額安寺(かくあんじ)(奈良)伝来。
(内藤栄)
奈良博三昧―至高の仏教美術コレクション―. 奈良国立博物館. 2021.7, p.277, no.219.
奈良・額安寺に伝来した厨子。観音開きの扉がついた奥行きの浅い厨子で、上部に二つの吊金具を設けて奉懸用としている。内部には表の中央に鏡を嵌めた慳貪(けんどん)式の中板を納める。鏡は外周に二条の金銅製覆輪をめぐらし、中心には円い孔をあけて、数粒の舎利と金銅製の胎蔵界大日種子を安置している。鏡は蓮華座に載り、周囲に光条を放つ。鏡を取り外すと、舎利孔のために中板に穿たれたくぼみに「至徳四年卯丁/御舎利冊五粒/同五月七日調之」と墨書した書付が挟まっている。その周囲に金剛界四仏の種子を墨書した円形の小紙片四枚を貼ることから、中心の舎利を金剛界大日と見なしていると考えられ、舎利孔内の阿字とあわせて舎利を両界の大日如来に見立てたとうかがえる。中板の裏面には金剛界曼荼羅、中板をはずした奥壁には胎蔵界曼荼羅を彩絵する。また扉の内面には向かって右側に不動明王二童子像、左の扉には降三世明王像を描き出している。
大円相内に大日如来を描き、下部に不動明王と降三世明王を配置する尊勝曼荼羅の基本構成が見出せることから、本品は小野流の宝珠法である如法尊勝法の遺品と考えられる。小野流の影響が強く見られる本品が、叡尊と忍性が復興した額安寺に伝来したこと、また本品の様式は鎌倉時代末期の作とされている大神宮御正体(重要文化財、奈良・西大寺蔵)ときわめて近いことから推定すると、至徳四年(一三八七)の墨書は舎利を勘計したことを示すもので、本品の制作は鎌倉時代にさかのぼると考えられる。
(田澤梓)
忍性-救済に捧げた生涯-. 奈良国立博物館, 2016.7, p.230, no.26.
奥行きの浅い平厨子で、正面に観音開き扉を開けている。天板上の左右に吊金具を付け首懸け式としている。軸部に慳貪式の中板をはめ、板のおもての中央に月輪に見立てた鏡をはめる。鏡の中心には円孔があけられ、舎利数粒と金銅製の阿字(胎蔵界大日の種子)を納めている。鏡は蓮華座にのり、周囲に光条を放つ。鏡をとりはずすと、舎利孔のために中板に穿たれた窪みに、本厨子が至徳四年(一三八七)に制作された旨を記した紙片が納められている。その紙片の四周には金剛界四仏の種子を墨書した円形の小紙片四枚が貼られ、中心の舎利が金剛界大日に見なされていることがわかる。舎利孔内の阿字とあわせて、舎利を両界の大日如来に見立てたことが窺える。中板は裏面に金剛界曼荼羅を彩絵し、中板を取りはずした奥壁には胎蔵界曼荼羅が描かれている。扉絵は向かって右に不動明王と二童子、左に降三世明王を彩絵する。不動、降三世の二明王で思い起こされるのは尊勝曼荼羅であるが、尊勝法には尊勝曼荼羅を本尊に立てて行う宝珠法(如法尊勝法)があり、本品はこれに関わる遺品である可能性があろう。本厨子は奈良・額安寺伝来で、当寺は鎌倉時代に西大寺叡尊によって復興造営されているから、本品は叡尊の舎利信仰の影響を受けていると推定されよう。
(内藤栄)
仏舎利と宝珠―釈迦を慕う心, 2001, p.219
奥行きの浅い平厨子で、正面に観音開き扉を開けている。天板上の左右に吊金具を付け首懸け式としている。軸部に慳貪(けんどん)式の中板をはめ、板の表面の中央に月輪(がちりん)に見立てた鏡をはめる。鏡の中心には円孔があけられ、舎利数粒と金銅製の阿字(あじ)(胎蔵界大日の種子)を納めている。鏡は蓮華座にのり、周囲に光条を放つ。鏡を取りはずすと、舎利孔のために中板に穿たれた窪みに、本厨子が至徳4年(1387)に制作された旨を記した紙片が納められている。その紙片の四周には金剛界四仏の種子を墨書した円形の小紙片4枚が貼られ、中心の舎利が金剛界大日に見なされていることがわかる。舎利孔内の阿字とあわせて、舎利を両界の大日如来に見立てたことが窺える。中板は裏面に金剛界曼荼羅を彩絵し、中板を取りはずした奥壁には胎蔵界曼荼羅が描かれている。扉絵は向かって右に不動明王と二童子、左に降三世明王(こうざんぜみょうおう)を彩絵する。奈良・額安寺(がくあんじ)伝来。同寺は鎌倉時代に舎利信仰を鼓吹した西大寺・叡尊(えいそん)が復興造営しており、密教色の濃い本厨子に叡尊の舎利信仰の影響を見ることも可能であろう。
(内藤栄)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.285, no.32.