香川県三豊市の伊舎那院(いしゃないん)伝来とされる像で、頭部や両手の大きいプロポーションと充実した体つき、右手で宝珠(ほうじゅ)をつまむ仕草に特色がある。頭頂から台座までの全容を一鋳(いっちゅう)するが、台座の正面や右側面に鋳掛(いか)けが認められる。像内は両膝あたりから上に鉄心と中型土(なかごつち)が残存し、背中には大きめの型持(かたもち)(外型(そとご)と中型(なかご)との間隔を保持するための支え)を設けている。後頭部及び台座蓮肉上面にそれぞれ光背(こうはい)支持用とみられる丸枘孔(ほぞあな)を穿(うが)つ。表面に鍍金(ときん)や彩色の痕跡は確認できず、いま黒褐色を呈している。裙(くん)の折り返しが三角形を呈する点、天衣(てんね)が蓮肉上でねじれる点、両足先にかかる裙裾が翻る点は、滋賀・慈眼寺(じげんじ)及び福島・福聚寺(ふくじゅじ)の観音菩薩像と一致し、像高も三像で近い値をしめすことから、観音菩薩像の一典型として流行したと想像できる。さらに瓔珞(ようらく)の一部を遊離させ、化仏(けぶつ)上半を別鋳(べっちゅう)ないし鋳掛けとする造法の類似が、制作環境の近接を物語っている。右手を胸前に上げ、頭髪に毛筋彫りをほどこすなど細部におよぶ親近性が認められる慈眼寺・福聚寺両像に対し、本像は瓔珞の意匠が複雑かつ装飾的となる点や、耳朶(じだ)を貫通させる点にいっそうの展開が見て取れる。なお、冠繒(かんぞう)が両肩で緩くS字に翻転する表現は、盛唐後期の像立とみられる山口・神福寺(じんぷくじ)十一面観音像にみられ、わが国では奈良・唐招提寺(とうしょうだいじ)十一面観音像などの唐風を濃厚にしめす奈良時代以降の木彫像に主として現れるが、本像はその早例としても注意される。
(山口隆介)
開館一二〇年記念白鳳―花ひらく仏教美術―, 2015, p.245-246
やや頭部が過大な、重厚感に富む観音像。右手で宝珠(ほうじゅ)をつまみ、左手は第一・第二指で瓔珞(ようらく)をはさむ。裳(も)の折り返しが三角形を呈する点、天衣(てんね)が蓮肉(れんにく)上でねじれて垂下する点、裳が両足を覆って縁がめくれあがり、指だけが露出する点などが滋賀・慈眼寺(じげんじ)像および福島・福聚寺(ふくじゅじ)像と共通し、何らかの権威ある像に基づいて、形式の反復が行われた可能性を想定できる。頭頂から台座に至るまで一鋳するが、台座部分は一度で完成せず、鋳掛(いか)けを行っている。像内には、鉄心と中型土(なかごつち)が残される。香川県三豊市の伊舎那院(いしゃないん)伝来という。
(稲本泰生)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.120, no.160.
香川県三豊市の伊舎那院に伝来したものと伝える。三面頭飾の正面に坐化仏を表し、右手に宝珠を持つ観音菩薩。俯き加減の大きめの頭部、細身の体に大きな手先を表すのは、白鳳期によく見られるプロポーション。柔らかな体の動き、それに伴うような瓔珞(ようらく)の揺らめき等、優れた表現が見られる。
全容を臘型(ろうがた)の一鋳で仕上げるが、台座の前方部や右方部に割れを生じたため鋳掛けを行う。像内には鉄心と中型土(なかごつち)が残され、背面に大きな型持ちが見られる。表面は軽く火中し、そのあとふき漆を施していると考えられる。
表情、裳の三角状の正面折り返し、裳裾のめくれ、天衣(てんね)の垂下する様など、特徴的な表現で共通する滋賀・慈眼寺及び福島・福聚寺の観音菩薩像が存在する。7世紀後半の造像活動の一端を考えさせる。
(井上一稔)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.292, no.68.