中央に不動尊と二童子をおき、向かって右下から順に降三世明王(東方)、軍荼利明王(南方)、大威徳明王(西方)、金剛夜叉明王(北方)を配しバランスのよい画面を構成する。不動は頭をやや右にひねって瑟々座(しつしつざ)上に坐し、京都・青蓮院の青不動をより充満の体躯に表し、面相も青不動に近い。頭上には七沙髻(しゃけい)と蓮華を置き玄朝様(げんちょうよう)の不動御頭や青不動頭部に近い図様を示している。火炎光は迦楼羅光(かるらこう)のなごりのごとく七区に分け、その火炎の勢いは形式化しつつも強い。二童子像も青不動像もひくとされる大阪・法楽寺本や兵庫・瑠璃寺本をとりまぜた形式で、持物を変化させるなど工夫をこらす(制咤迦童子の姿勢は醍醐寺本「不動御頭并二使者」像のそれに同じ、それに五鈷杵を執らせる)。四明王は図像上の特徴が醍醐寺本の国宝本五大尊像のうち不動尊を除く四天王によく一致し、これまた『別尊雑記』巻第三十三・三十四所載の円心様(えんじんよう)の図像とも一致する。すなわち本図は先行する数種の図像を組み合わせ、新たに一図に構成したことがわかる。不動明王像には彩色文様は施さず、むしろおさえた重々しい色調とコントラストの強い隈取り、肉身線や衣文線の明瞭な墨線による描写など、その表現は平安仏画からかなり隔たりがあり、力強い作風を作り上げ、鎌倉時代仏画の特徴を備えている。一画面に五大尊を描く作例は意外に古作に恵まれず、本図はその点でも貴重である。
(梶谷亮治)
明王展―怒りと慈しみの仏―, 2000, p.160
五大尊(五大明王)は、不空訳の『仁王護国般若波羅蜜多経』二巻や『摂無碍経』一巻に説かれる五方に配置される明王で、不動(中央)、降三世(こうざんぜ)(東・向かって右下)、軍荼利(ぐんだり)(南・左下)、大威徳(だいいとく)(西・左上)、金剛夜叉(こんごうやしゃ)(北・右上)から成る。五幅に描く五大尊像は記録では平安時代の早くから知られ、実際、京都・東寺の画像五大尊像などの遺例が知られるが、本図のような不動明王像を中心に他を四方に配する一幅仕立ての五大尊像の成立はそれよりは降り、白描図像では平安末期から鎌倉初期のものがはじめて知られる。
図様から見れば、不動は京都・青蓮院本の青不動様をより充満の体躯に表し、面相も青不動に近い。いわゆる玄朝様(げんちょうよう)の図様を示している。後背に負う火炎光は迦楼羅光(かるらこう)のなごりのように七区の部分に分ける。二童子像も青不動像をひくとされる大阪・法楽寺本や兵庫・瑠璃寺本をとりまぜた形式である(制咤迦制童子は醍醐寺本白描玄朝様二童子像のそれに同じ)。四明王は図像上の特徴が醍醐寺本の五大尊像のうち不動を除く四明王によく一致し、これはまた『別尊雑記』所載の円心様(えんじんよう)の図像とも同様である。すなわち本図は先行する数種の図像を組み合わせ、新たに一図に構成したことがわかる。
不動明王像には青不動のような精緻な彩色文様は施さず、むしろおさえた重々しい色調と強い隈取り、筆意ある墨線による描写など、その表現は平安仏画からかなり隔たりがあり、力強い作風の鎌倉時代仏画に独自の特徴を備えている。
(梶谷亮治)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.312, no.155.