奈良時代の仏像の中でも、成熟した唐様式の影響が特に顕著な作品。丸々とした頭部は非常に豊かな張りをもち、体軀(たいく)にも堂々たる風格が備わっている。複雑な動きをみせる着衣のひだの表現も写実性に富み、台座を覆い隠すように垂れる懸裳(かけも)が蓮弁の先端にかかる様子を表す点が注目される。この表現は7世紀末から8世紀半ばにかけての中国彫刻(敦煌(とんこう)第328窟の主尊など)にみられるもので、日本の作例では珍しい。垂下する衣も含め一鋳で造られ、像内は中空である。左掌にのこる持物の痕跡から、薬師如来(やくしにょらい)とされる。
(稲本泰生)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.119, no.158.
左の手指の曲げ具合から、左掌上に薬壺を載せた薬師如来像として造立されたことがわかる。ずんぐりとした体軀を粘りの感じられる着衣で包み、豊かな頬とうねりのあるややつり目の表情を見せる作風は、奈良時代後半の木心乾漆造の諸像にも共通し、本像の制作年代をその頃に求めることができる。下半身を包む裳はさらに蓮台を覆って、蓮弁の先端に引っかかりながら垂下する様子を表している。中国・唐時代の作例にはしばしば見られる形式であるが、日本の現存作例では類例の少ないものであり、本像が渡来作品を強く意識して造像されたものであることを示唆している。蓮台を覆う裳まで含めて全体をやや肉厚の一鋳とし、内部は中空とする。表面には現在鍍金などは認められず、肌の荒れが見られることからかつて火中したことがあると考えられる。右手先は木製の後補。
(礪波恵昭)
天平, 1998, pp.229-230
左の手指の曲げ具合から、左掌上に薬壺(やっこ)を載せた薬師如来像として造立されたことがわかる。ずんぐりとした体躯を粘りの感じられる着衣で包み、豊かな頬とうねりのあるややつり目の表情を見せる作風は、奈良時代後半の木心乾漆造の諸像にも共通し、本像の制作年代をその頃に求めることができる。下半身を包む裳(も)はさらに蓮台を覆って、蓮弁の先端に引っかかりながら垂下する様子を表している。中国・唐時代の作例にはしばしば見られる形式であるが、日本の現存作例では類例の少ないものであり、本像が渡来作品を強く意識して造像されたものであることを示唆している。
蓮台を覆う裳まで含めて全体をやや肉厚の一鋳とし、内部は中空とする。表面には現在鍍金などは認められず、肌の荒れが見られることからかつて火中したことがあると考えられる。右手先は木製の後補。
(礪波恵昭)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, pp.292-293, no.72.