芳香を発する檀木(だんぼく)を用いた仏像(檀像(だんぞう))はインドに起源をもち、東アジアでも盛んに行われた。明朗な表情が印象的な本像は「ビャクダンを用い、一尺三寸の大きさに造る」という、十一面観音像の制作に関する経典の規定に忠実な遺品であり、頭上面から蓮肉下の枘(ほぞ)まで一材から彫出される。中国・唐代の小檀像の影響を受けた緻密な彫技が認められるが、装身具の一部などに別材製のものを貼り付け、頭髪に乾漆(かんしつ)を盛るなど、唐の作例にはみられない技法が採用されており、日本国内での制作とする意見が定説化している。
(稲本泰生)
なら仏像館名品図録. 奈良国立博物館, 2010, p.101, no.130.
堅好無隙(けんこうむげき)の白檀の木肌の色と、その芳香を貴んだ檀像彫刻で、大きな頭部と膝下が短い形姿は小像特有の表現があらわれている。細身の体つきではあるものの、両臂(ひじ)を外に張って腕をゆったりと下ろす動きには、平安初期の充実した気風が感じられる。目鼻立ちが大ぶりであり、面奥(めんおく)が深い造形感情は小像とはいえ同時代の新薬師寺薬師如来像の威風(いふう)に通じるといえるだろう。
装身具・持物(じもつ)・天衣(てんね)など、身体から遊離した部分も本体と共彫りされ、精緻に鏤刻されている。わずかに髻(もとどり)の大半(後方)、右前膊(ぜんぱく)から先、瓔珞(ようらく)の一部などに別の小材を矧ぐ。頭髪(群青)、唇(朱)、眉目(墨)、瓔珞(朱と青)に彩色を施し、衣の縁と水瓶(すいびょう)に金泥(きんでい)で文様を描くほかは、彫刻の木肌は素地(きじ)のままとする。台座の反花(かえりばな)および框(かまち)は本体とは別材で、蓮弁(れんべん)表面の花飾も小材を留める。
十一の頭上面(ずじょうめん)は左面を除いて温顔であり、さらに右の三面は下牙を表しており、十一面観音経のなかでも北周の耶舎崛多(やしゃくった)の第一訳や唐の阿地瞿多(あじくった)の第二訳に記された「菩薩面に似て、狗牙(いぬきば)を上向きに出す」の規定に形の典拠が求められる。一方、左側の頭上面は天王の顔に似た怒顔(どがん)にあらわされ、唐の玄奘訳(第三訳)の「瞋怒面(しんぬめん)」に対応すると考えられる。つまり、本像の頭上面は旧訳本を基本としながらも一部新訳本が採用されていることに留意されるのである。
(鈴木喜博)
「堅好無隙(けんこうむげき)」のビャクダン製の十一面観音で、木肌の色と芳香を貴んだ檀像彫刻である。装身具・持物・天衣など、身体から遊離した大部分も本体と一材から精緻に彫刻される。わずかに髻(もとどり)の大半(後方)、右前膞(ぜんぱく)から先、瓔珞(ようらく)の一部などに別の小材を矧ぐ。台座の反花(かえりばな)および框(かまち)は本体とは別材であるが、蓮弁表面の花飾は小材を留めている。頭髪(群青)、唇(朱)、眉目(墨)、瓔珞(朱と青)に彩色を施し、衣の緑と水瓶(すいびょう)に金泥(きんでい)で文様を描くほかは、彫刻の木肌は素地(きじ)のままとしている。大きな頭部と膝下が短い姿形は小像特有の表現である。細身の体つきで、腰を左にひねって右足を前に出し、両臂(ひじ)を外に張って腕をゆったりと降ろす動きには、平安初期の充実した気風があらわれている。目鼻立ちが大ぶりで、面奥も深い造形感情は小像とはいえ新薬師寺薬師如来像の威風に通じる。十一の頭上面(ずじょうめん)は左面を除いて温和な菩薩の顔つきであり、特に右の三面は温顔にもかかわらず下牙をあらわにし、十一面観音経の初期漢訳本(北周〈五七〇〉耶舎崛多(やしゃくつた)訳、および唐〈六五四〉阿地瞿多(あじくった)訳)の「似菩薩面狗牙上出」(菩薩面に似て、狗牙を上向きに出す)に典拠が求められる。一方、左面だけが天王の努顔(どがん)にあらわされ、第三訳(玄奘本)の「瞋怒相(しんぬそう)」に対応する。すなわち、本像の頭上面は新旧の漢訳本の折衷型のうち、初期訳本(北周または唐)を基本としながらも一部玄奘訳本を取り入れていることに注意される。
(鈴木喜博)
古密教―日本密教の胎動―, 2005, p.158
白檀一材より頂上仏面から蓮肉下に造り出した円筒形のほぞまでを彫り出すという、典型的な檀像(だんぞう)。別材で作られた反花以下の台座に、円筒形のほぞを差し込んで立つ。髻の後半の他、瓔珞(ようらく)の一部や、蓮弁の子葉(しよう)などに別材を足している。この点は、全てを一材から彫出する法隆寺九面観音像等の檀像と異なる点である。檀像の日本的な展開と言えようか。
面相は目鼻立ちをはっきりと表して表情は明るく、側面観において後頭部より正面部を広くあらわす点、両腕と体部の間を広くとる体形などは、天平彫刻にみられるもので、制作期もその頃に遡るものと考えられる。像容では、頭頂面で右方の牙上出面が笑みを含んでいるかに見えることは、十一面観音経典の中でも初期の漢訳経の記載に基づくものであることが指摘されている。また頂上面を地髮から生え出たように表し、髻をその後ろに置くこと、裳裾で裳の下にさらに別の下裳を着けるかに表す点など特異な表現がみられる。
(井上一稔)
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.293, no.74.