西方から東方を向いた視点で春日社の景観を描く、定型の春日宮曼荼羅。画中に賛文や春日社本地仏(ほんじぶつ)の姿が一切描かれないのは、古代の作例に認められる特色である。画面下端中央の一の鳥居を起点として上方へと続く参道の左右には、桜・松・柳など様々な樹木が生い茂る春日野が広がり、その景観を横断するように青い帯状の霞が幾筋も延びる。参道の左方に春日東西両塔、その先には本宮および若宮社の社殿が建ち並ぶ。社殿の奥にひかえる神体山の御蓋山(みかさやま)は、整理された円錐形に近い山容の内側をバッチワーク状に樹叢が埋め尽くし、背後に峰を連ねる春日山は緩やかなカーブを描きながら左右対称に稜線を広げる。こうした全体の構成や各モチーフの形態および配置は、正安二年(一三〇〇)成立の基準作である湯木美術館本と同じ型を使ったと見まがうほど酷似しており、同じ工房の手でさほど時を隔てない時期に成立したと考えられる。湯木美術館本については、南都絵所芝坐(しばざ)の絵師観舜(かんしゅん)が絵を描き、供養に興福寺および西大寺律宗の僧侶が関わったことが判明することから、本品もこれと極めて近い環境の中で製作された可能性があるだろう。
(谷口耕生)
おん祭と春日信仰の美術ー特集 春日大社にまつわる絵師たちー. 奈良国立博物館, 2019, p.64, no.44.
四方から東方を向いた視点で春日大社の景観を描く、定型の春日宮曼荼羅。画中に賛文や本地仏(ほんじぶつ)の姿が一切描かれてないのは、古式の作例に認められる特色である。画面下端中央の一之鳥居を起点として上方へと続く参道の左右には、桜・松・柳など様々な樹木が生い茂る春日野が広がり、その景観を横断するように青い帯状の霞が幾筋も延びる。参道の左方に春日東西両塔、その先には本殿および若宮神社の社殿が建ち並ぶ。社殿の奥にひかえる神体山の御蓋山(みかさやま)は、整理された円錐形に近い山容の内側をパッチワーク状に樹叢が埋め尽くし、背後に峰を連ねる春日山は緩やかなカーブを描きながら左右対称に稜線を広げる。こうした全体の構成や各モチーフの形態および配置は、正安二年(一三〇〇)成立の基準作である湯木美術館本と同じ型を使ったと見まがうほど酷似しており、同じ工房の手でほぼ同時期に成立したと考えられる。湯木美術館本については、南都絵所芝坐(しばざ)の絵師観舜(かんしゅん)が絵を描き、供養に興福寺および西大寺律宗の僧侶が関わったことが判明することから、本品もこれと極めて近い環境の中で制作された可能性があるだろう。
(谷口耕生)
創建一二五〇年記念特別展 国宝 春日大社のすべて. 奈良国立博物館, 2018, p.313, no.103.
西方から東方を向いた視点で春日社の景観を描く、定型の春日宮曼荼羅。画中に賛文や春日社本地仏(ほんじぶつ)の姿が一切描かれないのは、古代の作例に認められる特色である。画面下端中央の一つの鳥居を起点としれ上方へと続く参道の左右には、桜・松・柳など様々な樹木が生い茂る春日野が広がり、その景観を横断するように青い帯状の霞が幾筋も延びる。参道の左方に春日東西両塔、その先には本宮および若宮社の社殿が立ち並ぶ。社殿の奥にひかえる神体山の御蓋山(みかさやま)は、整理された円錐形に近い山容の内側をバッチワーク状に樹叢が埋め尽くし、背後に峰を連ねる春日山は緩やかなカーブを描きながら左右対称に稜線を広げる。こうした全体の構成や各モチーフの形態および配置は、正安二年(一三〇〇)成立の基準作である湯木美術館本と同じ型を使ったと見まがうほど酷似しており、同じ工房の手でさほど時を隔てない時期に成立したと考えられる。湯木美術館本については、南都絵所芝坐(しばざ)の絵師観舜(かんしゅん)が絵を描き、供養に興福寺および西大寺律宗の僧侶が関わったことが判明することから、本品もこれと極めて近い環境の中で製作された可能性があるだろう。
(谷口耕生)
おん祭と春日信仰の美術 特集威儀物 : 神前のかざり, 2014, p.59